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LAB LETTER
4の巻 『生きるとは ー先人から託された問いー 』 by 昆野綾花
*TAO LABより
7月16日、初めて参加した「東京示道塾」。
その場で出会った一人の女性がいます。
会津若松生まれ、昆野綾花さん。
今年から「東京示道塾」の運営アシスタントを務められ、当日参画する前から、さまざまなご案内を届けてくださっていました。
実際にお目にかかって驚いたのは、その若さです。
まだ21歳。
年齢でヒトを判断することはありませんが、現役フレッシュな若さともにしっかりとした眼差しや物事への向き合い方には、思わず感心させられました。
●昆野綾花
2004年 福島県会津若松市生まれ
2021年
・英会話サークル「FIND」設立
・日本語講師として活動開始
2026年
・FIND代表として、語学教育・異文化交流事業に取り組む
先日、「1の巻 7月16日の出来事 花のお江戸が穢土へ 〜 英霊たちへ、いまを生きる私たちから」でも記しましたが、學習会終了後、皆さんと靖国神社を参拝し、その後の座談会で綾花さんが語ってくださった「知覧」の旅の話が、今も心に残っています。
静かに、でも熱く語るその言葉。
そして、その瞳に浮かんだ涙。この涙、塞ぎ込んだ気持ちを労ってくれました。
その姿に、私はヒトとしてのまっすぐな心=情を見ました。
後日、その旅をもとに綴られた文章を拝読し、深く胸を打たれました。
特攻隊として命を捧げた若者たち。
そして、その人たちと「今」同じ世代として生きてる一人の女の子。
時代は違っても、「なんのために?」と自ら考え、命に耳を澄まし、その想いを行動する+受け取ろうとする心には、時空を超えて響き合うものがあります。
7月16日から17日、18日にかけて、私自身が英霊たちとの不思議なご縁を重ねた、その締めくくりとして〜綾花さんのご厚意により、その文章をここにご紹介させていただきます。
どうぞ、静かな心で、彼らと彼女に思いを馳せ、「過去」と「未来」を「今」に重ね、お読みいただければ幸いです。
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*生きるとは ー先人から託された問いー
「胸を張って、生きてください。」
展示室でふと誰かに、そんな言葉をかけられた氣がした。
護るべきもののために、命を懸けて飛び立っていった特攻隊員たち。
その遺書を読んでいくうちに、私は一つの数字に目が留まった。
「21」
それは、遺書を書いた差出人の年齢だった。
そして、その遺書を読んでいる私も、同じ21歳だった。
自分と重なる事実に、表現しきれない氣持ちを抱えたまま、歩く足が重くなっていくのを感じた。
振り返ってみると、私の21年は、本当に平和な時間の中で流れてきたように思う。
朝起きて、ご飯を食べて、学校へ行き、家に帰って、眠る。
時には悩みながらも、「明日」が来ることを疑うことなく生きてきた。
将来に迷い、失敗に落ち込み、死に対して怖さを覚えることもあったが、また次の日はやってくると無意識のうちに安心していた。
「明日」は、あまりにも当たり前のものとして、そこにあった。
けれど、ガラスの向こうに残された遺書を書いた特攻隊員たちの時間に、その続きはない。
明日の確約がない時代を生きた彼らは、どんな想いで空に飛び立っていったのだろうか。
2026年2月、私は特攻隊の歴史を學ぶために、鹿児島を訪れた。
特攻隊の存在は、教科書や映画で語られる戦争のように遠い過去としての認識で、自分とはあまり関係ないと、どこかで感じていたように思う。
旅の途中、バスの中で「戦争や特攻隊の人たちの氣持ちを理解しようとしなくていい。ただ想いを重ねて感じてみてほしい。」と言われたが、戦争を感じるってどういうことだろう。
と、その時少しだけ違和感を覚えた。
戦争の起きた背景を知り、出来事の意味を考え、当時の人たちの氣持ちを想像する。
それが大切だと思っていたからだ。
向かった先の展示室には、特攻隊員たちの写真や遺書、遺品などが静かに並んでいた。
その一つ一つに現れている人生の重さは、想像以上に大きかった。
母親へ宛てた手紙。父親へ宛てた覚悟の言葉。弟や妹の成長を氣遣う深い愛情。家族への感謝と、未来への願い。
ある遺書には、こう書かれていた。
「髪の毛も、爪も、骨も、何にも残らなくても、魂だけは必ず譲り渡します。」
その短い遺書を読んだとき、突然頭を殴られたような衝撃が走り、胸の奥で何かが大きく揺れた。
少しして、語り部の方に言われたひと言を思い出した。
「特攻隊員一人一人に人生があったことを忘れないでほしい。」
遺書を残して飛び立っていった彼らの強い想いに時代を超えて触れ、何かが繋がった氣がした。
富屋旅館での學習会で「人として当たり前のことは何だと思いますか。」と女将から問われ、
私は「挨拶」と自信満々に答えたが、女将の答えは違った。
「生きていくこと。人として当たり前のことは、生きていくことですよ。」
また強い衝撃が走った。なんて平和な世の中なのだろう。今生きていることは当たり前じゃないと、私は氣が付いていなかった。
特攻隊員たちが出撃の前に言った「おばちゃん、僕たちの分まで生きてね。」という言葉に、展示室で見た遺書が重なった。
遺書を読んだ直後はショックが大きすぎて、生きてることに重荷すら感じるくらいだったが、英靈に「生きろ」と強く肩を叩かれた。
同志と語り合う時間の中で、少しずつ自分の使命が見えてきた。
出撃していった特攻隊員たちは、私たちに落ち込んでほしいわけでも、過去に生きてほしいわけでもなく、しあわせに生きているこの姿を見たいんだ。それを見せることが私たちの使命なんだ、と。
もし自分が同じ時代に生きていたら。
もし自分が同じ21歳で出撃を命じられていたら。
これらの問いに、本当の意味で答えることはできない。
私たちは戦争の時代を生きたわけでもなく、特攻という決断の場に立ったこともないから。
どれだけ本や文献を読み、知識を増やしても、その体験そのものに近づくことはできないんだ。
そう思ったとき、バスの中で聞いた言葉の意味が、すっと自分の中に落ちた氣がした。
「理解しようとするのではなく、想いを重ねて感じてみること。」
それは、歴史を知識として捉えるのではなく、一人の人間の人生として向き合うということだったのかもしれない。
未来に魂を託した彼らが思い描いていた世界。
その未来の中に、私たちは今、生きている。
自由に學び、好きな道を選び、悩んだり考えたり、仲間と家族と笑いながら、日常を過ごしている。
当たり前だと思っているこの時間は、決して偶然与えられたものではない。
私と同じくらいの歳の、多くの若者がこの未来を願いながら、命を懸けた結果として今があるのだと、苦しいほどに、感じている。
これからこの命を使ってどんな生き方をするべきか。
21歳の私は、この問いに対する答えをまだはっきりとは持っていない。
けれど、ひとつだけ確かなことがある。
それは、「今日」という一日を、大切に本氣で生き続けること。
あの日、空へ飛び立った彼らの時間は、21歳のまま止まっているけど、私の時間はまだ続いている。
彼らが繋いでくれたこの時間を、彼らの分まで沢山笑って生きていきたい。
あの遺書を書いた特攻隊員たちが、今の私たちを見ているとしたら、ちゃんと生きているかと聞かれたら、最高の笑顔で「はい。」と胸を張って答えたい。
今同じときを生きる人たちと、前を向いて歩いていく。
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綾花さん、ありがとうございます、写真も。
英霊の方がた、ありがとうございます。
どうですか?貴方たちの命に思いを馳せ、同世代の「今」を生きる彼女に生じた「問い」。
貴方たちが嘆く「今」の時代ですが、だからこそ、このナイスピースな笑顔:)と共に引き続き見守ってください。
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「未来」は希望と共に「今」から 〜:)
*おまけ
16日から〜15才の時に出会い、大好きなこの「歌」が妙に響き、それ以来、毎日、爆音で聴いています。
鳥肌とともに「勇気と自由」いただいております。
「あぁ もう涙なんか枯れてしまった
明日からは身軽な私
風のように自由に生きるわ
ひとりぼっちも あぁ気楽なものさ
あぁ 目をとじて心もとじて
開いた本も閉じてしまえ
あぁ 私は風 私は風
終わりのない旅を続けるの」
終わりの始まり〜下を見ず、思いっきり、脳天気に天仰ぎ〜:)
カルメン・マキ&OZ 私は風 part1
カルメン・マキ&OZ 私は風 part2
カッチョイイ!!!
半世紀前に植えつけられた「唄」〜お陰さまで私の内宇宙で芽吹き、育っています。
「あぁ 私はTRA 私はTRA
終わりのない旅を続けるの」
この「詩」にも感謝!


