MAGAZINEマガジン

連載

HOLY LIGHT SHINMON

Vol.3 さよなら、ありがとう『南妙法蓮華経』その2

*TAO LABより
前回の続きです。


...続いて、受信者Wからも次の報告が届いています。

日蓮さんのSHINMONの件、お釈迦様がこられました。
「わたしがなんとかしましょ」と言うてくださって、日本の現状も見せてくださいました。

法華経の問題に限らず、政党の左右を問わず、コールタール状の人の思いが日本列島全体に乗り、その重みで沈んでいます。その日本列島も北が上の位置ではなく、北方や太平洋の向こうから見た配置です。
つまり日本人は、主体的に日本列島像を抱くことすらできなくなっています。
「どうやったらこうなるの?しばらくいてあげるわ」と言うてくださいました。

以下のとおりお預かりしました。
どうぞよろしくお願いいたします。

見誤りてし
蓮の声 響きにとらわれしを
解く
南無妙法蓮華経 の
役 (厄) を解く
サンガあり
また そこにも
誤りをうむ
懺悔 懺悔
己が身を省みて 見よ
(釈迦)

2026年1月25日


*TAO LAB調訳
◆ この「Wさん+釈迦」の報告は何を伝えているのか?
積さん+日蓮のやり取りが「お題目という言語装置の役目の終了」を告げているとすれば、こちらは一言で言うと、

日蓮的な「言葉による救済装置」の問題を越えて、日本社会そのものが〈自分で感じ・考え・位置づける力〉を失っている、

という"より深い層の診断"です。

◆「コールタール状の人の思い」とは何か?
これは比喩ですが、かなり的確です。

コールタールの特徴
黒く、重い
粘着質で、流れない
一度付着すると、剥がれにくい

これを「人の思い」に重ねています。つまり、
怒り
不安
被害意識
正義感の固着
勝ち負け思考
左右・善悪・敵味方への執着

こうした処理されない感情や観念が、発散も昇華もされずに、重たいまま、日本列島全体に"べったり乗っている"という状態。

ポイントはここです。
政党の左右を問わず...つまり、右が悪い、左が悪い、ではない、どちらも「重たい感情の置き場」になっている。

◆「その重みで沈んでいます」の意味
これは物理的沈没ではありません。
想像力が沈む
視野が沈む
未来像が描けなくなる
呼吸が浅くなる

社会全体の"感受性の浮力"が失われている...ということ。

だから、
声は大きい
主張は激しい
でも、軽やかさがない

◆「北が上ではない配置」とは何か?
ここが一番わかりにくい部分ですが、重要です。

・通常の日本列島像
日本人が学校で覚えた地図
北が上
日本が中心

これは、自分たちが主体となって世界を見る視点です。

・Wさんの言う配置
北方や太平洋の向こうから見た配置~つまり、
外国
他者
強者
グローバルな視点
から"見られている日本"。

日本人自身が、自分の立ち位置で日本を見ていない。わたしは「日本ファースト」というコトダマも違和感あります~アメリカのトランプさんの受け入り。また、英語脳から生まれた言葉ですから、排他的にも通じる。センスないです、やっぱ、政治屋さんたち:)

わたしだったら「大好きだよ!母国」的な波動を掲げたい。「お袋=母」そりゃ~親や人として問題もあると思います。でも...基本、理屈ではなく、「お袋=母」という存在は善悪、ジャッチ超えた存在だと想います。まず絶対の肯定と揺るがない感謝があった上で、でも「お袋のここはキライ」「お袋のここは理解できない。」はいいんじゃないのでしょうか?

◆「主体的に日本列島像を抱けなくなっている」とは
砕くと、こういう意味です。
自分は何者か
どこに立っているのか
どこへ行きたいのか?

これを、
他国の評価
数字
世論
イデオロギー
トレンド
に委ねすぎている。

だから、日本について語っていても、実は「自分の言葉」では語れていない...

◆ 釈迦の言葉の本当のトーン
「どうやったらこうなるの?
しばらくいてあげるわ」
これは叱責ではありません。失望でもない。裁きでもない。
さすがお釈迦さま:)

「これは相当、感覚が鈍っているな...」という診察
だから「しばらく、いてあげる」。
教えを説くのではなく、一緒に"正気に戻る時間"を取るという姿勢。

◆ 詩を一行ずつ、砕いて説明します
①見誤りてし 蓮の声 響きにとらわれしを 解く
意味はこうです。
本来見るべきものを見誤り、「法華(蓮)」の声そのものではなく、その響き・勢い・正しさの音量にとらわれてしまった状態を、いったん解きます。

ポイントは、
法そのものが間違った
日蓮が間違った
ではなく、

"響きの強さ"に依存してしまったという点。
正しさが、
大きな声
強い言葉
揺るがない主張
に変換された瞬間、人は中身より音圧に従ってしまう。
そこを「解く」と言っています。

②南無妙法蓮華経 の 役 (厄) を解く
ここが核心です。意味は、
南無妙法蓮華経が果たしてきた「役割(役)」を終わらせると同時に、今や重荷となっている「厄」を外す。

つまり、
かつては救済装置だった
今は固定化・硬直化・対立を生む側面が出ている

役目は果たしたが、同じ形で使い続けると"厄"になる段階に来た
だから「解く」。壊すでも、否定でもありません。

③サンガあり また そこにも 誤りをうむ
サンガとは、
僧団
組織
正しさを共有する集団

ここで言っているのは、個人が悪いのではない、組織が悪いのでもない。しかし、どんな正しい教えも、集団化すると新しい誤りを生みやすい。
という、仏教の原点的な警告です。

内と外ができ、正統と異端が生まれ。正しさが自己目的化する。これは避けがたい。

だからこそ、次の段階では「サンガに依存しない在り方」が必要だと言っている。

④懺悔 懺悔 己が身を省みて 見よ
ここ、誤解されやすいですが重要です。
これは、
罪を告白しろ
頭を下げろ
という意味ではありません。

意味はこうです。
誰かのせいにするな
時代のせいにするな
宗派のせいにするな

自分自身の「従ってしまった姿勢」を、ちゃんと見直しなさい。
懺悔とは、自分の無自覚を認める行為です。

◆ なぜ釈迦が出てきたのか
日蓮 → 法華 → お題目という「高度に洗練された装置」が逆に重くなった今、いちばん最初の立ち位置。
「自分で見よ」
「自分で気づけ」
ここへ戻す必要があった。

だから釈迦。

◆ 最後に...
このメッセージは、
新しい教えの提示
新しい言葉の付与
ではなく、

言葉に頼りすぎた世界を、もう一度"自分の感覚"へ戻すための伴走宣言です。
「しばらくいてあげるわ」
という言葉が、すべてを物語っています。

日蓮さま、お釈迦さま、ありがとうございます!

NEXT

PAGE TOP