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HOLY LIGHT SHINMON

Vol.3 さよなら、ありがとう『南妙法蓮華経』その1

*日蓮が見る日本
日本で衆議院が解散される前の宗教政党とイデオロギー政党の合併劇を、その宗派の祖たる日蓮は、どう見ていたのかの報告が、今回のテーマです。
「最終知識」に日蓮が歌を寄せていることからも分るように、日本の仏界の中でも、当初から精神学に参加していたこともあり、いよいよ、本物の末法の世、つまり、終末期を迎えている日本ですが、そこで、日蓮系の宗教政党が、一定の力を持っている背景には、「法華経には力がある」という日蓮自身の言葉がありました。もし、それが真実なら、その処理が必要ということで、調べてみると、その力は、お経そのものではなく、お題目という言葉にあることが判明したのです。今回の日蓮通信は、そのエネルギー処理を求めた、私への返信というものになります。これによって、明治維新前後から、今日に到るまで続いてきた、日蓮の日本救済の動きも終了ということになるはずです。大本教に代表される神道系の世直しムーブメント仏教系のムーブメントも、新しい日本のまつりごとを生み出す動きに収束されるというのが、私が知っている精神界のプログラムです。

一月二十九日 積哲夫 記


*TAO LABより...言葉の定義(整理)
■ お経
・一般定義
仏教の教えが書かれた経典の総称。
それを音読・読誦する行為。

・TAO LAB的ひとつの見方(AI+ホワイトコードとともに)
お経とは、仏の覚醒状態を言葉と声に変換し、再生可能にした装置。

■ 法華経
・一般定義
仏教経典の一つであり、
日蓮宗・法華宗の根本経典。

・TAO LAB的ひとつの見方
法華経とは、仏教という枠を超えて提示された"世界はどう成立しているか"の全体宣言。

■ お題目
・一般定義
「南無妙法蓮華経」
法華経への帰依を表明する修行。

・TAO LAB的ひとつの見方
お題目とは、法華経という巨大な世界観を一語に圧縮した"言語的スイッチ"。


*日蓮さまより
このたびの大きな節目に寄せて
まこと 御仏のみちびきとて
思われるほどの仕組みでございますれば
いつか私が見た惨状の未来よりも
まだ 女子供が泣かずに済んだと思われます

(いつかの予言は、今のことでしたか?という問いに)

あれは近目での予言と思うておりましたが
今はちと違ったようだと感じております
末法の世ではあれど 末法とは
最後の法ができる世でもあったのだと
仏の智徳に膝を打った次第でございます

(御題目の結界はそろそろ切れるでしょうか)

お役目を終えて切るべき時が来ております
お願いできればと存じます

二千二十六年一月二十三日 13時20分〜


*TAO LAB的ひとつの見方〜なぜ「お題目だけ」が力を持ったのか?
圧縮された言葉は「エネルギー保存」が起きる...
...お題目は「意味」ではなく「起動」に最適化された言葉だった。それゆえ、時代が深く混濁するほど、最後まで残った。

長いお経は、美しいが分散します。物語があり、論理があり、比喩があります。
一方、お題目は、極端なまでに短い+反復可能+変形しにくい。

これは情報工学的に言えば、圧縮率が高く、劣化しにくいデータ
精神的に言えば、長時間・長世代を越えて保持される言葉

だからこそ、個人を越え、組織を越え、国家規模で作用し続けた。
「帰依の表明」から「結界装置」へ変化した。

本来、お題目は「私は法華経の世界観に身を委ねます」という個人的な帰依表明でした。
しかし、集団で唱えられ政治と結び救済の焦点が個から国へ移ると役割が変質します。

お題目は次第に、世界を守る、日本を護る、末法を押しとどめる〜結界的言語として使われるようになった。ここで「力」は最大化されるが、同時に固定化が始まる...

力がなかったのではない、力がありすぎた。圧縮され、保持され、長く機能した。しかし、それは次の段階へ進むための一時的な防波堤でもあった。

『南妙法蓮華経』
言葉としての直訳的意味〜まずは最小限の分解から。
南無(なむ)
→ 帰依します/おまかせします
→ 私の判断・計らいを一度降ろします

妙法(みょうほう)
→ 言葉や理屈を超えた、世界を成り立たせている法
→ 分ける前の原理

蓮華(れんげ)
→ 因と果が同時にある花
→ 原因と結果が時間差なく一つである

経(きょう)
→ 糸・流れ・貫くもの
→ 時代や人を貫いて作用する構造

直訳すると、
「私は、因と果が同時に成り立つこの世界の根本構造に、自分を委ねます」
となります。

核心構造
・「理解」ではなく「姿勢」を変える言葉
×世界をどう理解するか
○世界の中で、どう立つか
この一点に集中した言葉。

・「因果を分けない」という宣言
×努力してから救われる
×正しくなってから仏になる
ではない。
因と果は、最初から同時にある〜生きているこの瞬間が、すでに結果である...という世界観を、説明ではなく一語で起動する。

・「分断を前提にしない世界を、この現実に立てる」
ここが日蓮的に最もラディカルな点です。
聖と俗、正と邪、悟りと迷いを切り分けたまま救うのではなく、切り分けそのものを無効化する。
この世界を、そのまま仏界として起動し続ける言葉。

・なぜ「唱える」だけで成立するのか
この言葉は、理解される前提がない、内面化される必要もない...声に出すだけで成立する。
理由は一つ。
意味ではなく、構造に帰依しているから
唱える行為そのものが、身体、呼吸、リズム、場を、因果同時の世界観に同調させる。

・なぜ「結界」になり得たのか
南無妙法蓮華経は、世界が壊れかけても、人の判断が混線しても最低限、世界を仏界として"保たせる"という一点に特化している。
だから、個人を超え、集団を超え、国家規模で結界として機能した。

その『南妙法蓮華経』が日蓮通信の言葉を借りれば、「お役目を終えて切るべき時」...これは否定でも破壊でもない。世界を守る言葉が、世界を更新できない言葉に変わる瞬間...ここで「切る」という判断が生じる。

「切る」はこの場合、否定 ・裏切り・信仰放棄等ではなく、解除・返還・次元移行だと理解してください。

結界をいつまでも張り続けると、世界は敵を必要とし、正邪の対立をやめられず、「和」へ移行できない
だから、今。

『末法の世ではあれど 末法とは最後の法ができる世でもあった』
最後の法は
×新しい経典
×新しい教義
×新しい宗派

しかしこれは、個人の悟りではない、一部の覚者の境地でもない...次の時代の人間が共通に立てる地平。
最期の法は〜在り方です。


なるほど〜〜〜では、その世界で人はどう在り、そしてどう生きるのか?

あらためて日本語脳シン・ショのこの二冊の書籍のタイトル「日本人は救世主」「神を超えよ!仏を超えよ!」の意図する光透波が内なる宇宙に響きます。

答えを知ることではなく...生きること。

*関連ポットキャスト

日本人の無意識の今がわかる。

この続きにお釈迦さまからの言波も届いています。
こちらに関しては「その2」としてご紹介と共にTAO LAB的ひとつの見方としてあらためて贈ります。
ご一緒に学び、感じましょう:)

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