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本日の一本
「教育」ではなく、「共育」へ〜 日曜劇場『御上先生』
*TAO LABより
今さらながら、2025年に放送されたドラマ『御上先生』を観始めた。

これが、素晴らしい。
しょっぱな、そうなんだぁ〜とシビれたこの意味。
エリートとは、何か?
「エリート」の語源を辿れば、もともとは「神に選ばれた者」の意。
では、何のために選ばれるのか?
良い学校へ入り、良い職に就き、より多くのお足を得て、自分だけが豊かになるためではない。
『御上先生』が投げかけるのは、その先だ。
与えられた知性や力を、自分だけのためではなく、誰かのため、社会のためにどう使うのか。
考え、自らを律し、声の小さな人にも眼を向ける。
つまり自らエリートとは、特権を与えられた人ではなく、むしろ大きな責任を引き受ける人なのかもしれない
選ばれることより、何のためにその力を使うのか。
エリートという言葉を「選民」ではなく、使命=天命を引き受ける人と読み替える。
そこまで含めて「学ぶ」なら、教育は競争のための道具ではなくなる。
教育から、共育へ。
頭の良い人をつくるのではなく、智慧をどう生かすかを共に考える。
『御上先生』が教室から問いかけているのは、そんな「学び」の原点なのだと思う。
主人公・御上孝は、松坂桃李演じる文部科学省の官僚。
教育を変えようと文科省に入った男が、制度の中からでは変えられない現実にぶつかり、ひょんなことから高校3年生29人の教壇に立つ。
けれど、この先生。
簡単に「答え」を教えない。
問いを投げる。
なぜ、そう思う?
その出来事と社会は、本当に無関係なのか?
自分なら、どう考える?
ひとつの教室から、受験、格差、報道、政治、官僚組織、学校という制度、そして大人たちの都合へ。
生徒の身近に起きた出来事が、いつの間にか「社会はどうできているのか」という問いへつながっていく。実際、制作側も「学校で起きる問題が社会全体の問題につながっている」ことを作品の大きな軸として掲げている。
そして驚いたのが、これが漫画や小説を原作としない完全オリジナルドラマだったこと。
脚本は詩森ろばさん。
これだけの問題を盛り込みながら、「社会問題を説明するドラマ」にならず、一人ひとりの人間の物語として走らせる。
その力量にもシビれる。
そして観ながら、自分自身の昔をちょっと思い出した。
かつて数年間、女子高校や専門学校で「美と健康」の授業を担当していたことがある。
また、浜野安宏さんの立命館大学ゼミの夏のアメリカ合宿のお手伝いも数年していた。
あの頃も、「何かを覚えてもらう」ことより、それまでとは違う角度から自分や世界を観てもらうことの方がオモシロかった。
そして今、あらためて思う。
また、やってみたいなぁ、と。
ただし、「教育」ではなく、「共育」。
先生が上にいて、生徒に完成された答えを渡すのではない。
先生もわからない。
生徒もわからない。
だから、
一緒に問い、
一緒に考え、
一緒に観て、
一緒に育つ。
『御上先生』で松坂桃李さん自身も、この物語について「誰か一人が解決していくのではなく、みんなで向き合い、考えていく」と語っている。
これって、学校だけの話ではないと思う。
いくつになっても、人は先生になり、生徒になる。
本から教わる。
若者から教わる。
自然から教わる。
失敗からも教わる。
そして、教える側だったはずの人間が、いつの間にか一番育てられていたりする。
教育から、共育へ。
答えを教える場所から、問いを育てる場所へ。
『御上先生』。
まだ途中までしか観ていないけれど、久しぶりに、、、
「もう一度、教壇のような場所に立ってみたい」
共に育つ、一人として〜:)
そんな気持ちまで呼び起こしてくれたドラマです。
そして全10話の脚本はシナリオブックにもなっています。映像を観終えたあと、詩森ろばさんがこの複雑な物語を「文字」からどう立ち上げたのかを読むのも面白そうです。
というわけで、さっそく〜ポッチっと。
さて、答えは?
風の中にも...ない...だったら、、、、考えよう、必至に、、、ソウゾウとは、、、神に選ばれし者は、、、苦しみながら〜それ以上に、楽しみながら、それが、Life is Art:)


