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本日の一枚
光は、屈折する。Cornelius『REFRACTIONS』。混ざらないのも、和。
*TAO LABより
この人を「ミュージシャン」という言葉だけで括るのは、ずっと違和感がある。

Cornelius=小山田圭吾。
音をつくる。
映像をつくる。
空間をつくる。
ジャケットをつくる。
そして、それらの間にある「関係」をつくる。
音楽家というより、ARTな存在。
新作『REFRACTIONS』を聴いて、あらためてそう感じた。
「REFRACTION」とは屈折。
光は、異なる物質へ入るとき、進む方向を変える。
けれど、光そのものが失われるわけではない。
むしろプリズムを通れば、それまでひとつに見えていた光の中から、さまざまな色が現れる。
これ、人と人との出会いにも似ている。
自分だけで完結していたら、自分の光が何色なのかさえ、案外わからない。
他者と出会い、屈折することで、まだ知らなかった自分の色が現れる。
今回のCorneliusは、まさにそこへ踏み出している。
約3年ぶり、8枚目のオリジナル・アルバム『REFRACTIONS』。2026年8月19日にハッコウされた全10曲。
参加している顔ぶれが、またイイ。
Sean Ono Lennonとは「Aeons」。
Arto Lindsayとは「Bad Advice」。
英国THE MONOCHROME SETのBidとは「You Make Me Cyborg」。
そして坂本慎太郎は「まざらない」の作詞で参加する。
さらに長年Corneliusの音を支える美島豊明、髙山徹...アートワークの北山雅和も、この作品をかたちづくっている。
面白いのは、
「まざらない」のに、共につくる。
ということ。
ここに『REFRACTIONS』という作品の哲学が潜んでいるように思う。
「ひとつになる」ことは、必ずしも「同じになる」ことではない。
違うものは違うまま。
小山田圭吾は小山田圭吾。
SeanはSean。
ArtoはArto。
BidはBid。
坂本慎太郎は坂本慎太郎。
まざらないからこそ、屈折する。
そして屈折するからこそ、それまで見えなかった色が生まれる。
「和」も、本来そういうものなのかもしれない。
みんな同じ方向を向き、同じ色になることではなく、それぞれが異なる振動を持ったまま、ひとつの場で響き合うこと。
小山田自身も、この作品について、急速に変化する世界や自分を取り巻く環境が作品を形づくったとしながら、それを直接的なメッセージとして表すのではなく、連続性、変化、そして複数の状態が同じ時間の流れの中に共存することを「構造」として探究したと語っている。
ここが、いかにもCorneliusなんだ。
思想を説明しない。
思想そのものを、音の構造にしてしまう。
だからCorneliusの音楽は、耳だけで聴いている感じがしない。
音が右から左へ移動する。
反復する。
切断される。
突然、空白ができる。
声が楽器になり、ノイズがリズムになり、映像が音楽になる。
聴くというより、音の中を歩く。
そんな感覚がある。
さらに今回、井上陽水「夢寝見」を取り上げているのも面白い。前作『夢中夢』から続く、夢と現実の境界が溶けていく感触と、より肉体的なビートが同居している作品だという。
井上陽水「夢寝見」
夢と現実。
人間と機械。
個と他者。
音と映像。
過去と未来。
Cornelius「Yumenemi」
境界線を消してしまうのではない。
境界があるから、そこで光が屈折する。
これが『REFRACTIONS』なのかもしれない。
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Cornelius『REFRACTIONS』
しかもDeluxe Editionでは、BOXそのものに小山田圭吾が一つひとつ直接スプレーワークを施している。塗装のムラも、にじみも、傷も含めて一点ものの「作品」として届けるという。音源を入れる単なる容器までARTにしてしまった。
ここまで来ると、
音楽をつくっている人なのか。ARTを生きている人なのか。
境界そのものが、もうよくわからない。
でも、それでいいんだと思う。
Corneliusという存在自体が、ずっとREFRACTIONSしているのだから。
光は直進する。
けれど、異なる世界と出会えば屈折する。
まっすぐ進むことだけが、シンカではない。
曲がる。
ズレる。
他者と出会う。
思ってもいなかった方向へ進む。
そのとき初めて見える、自分の中の色がある。
小山田圭吾、57歳。
まだ完成しない。
まだ変わる。
まだ遊ぶ。
LIFE is ART.
その言波を、音そのもので体現しているような人だなぁ〜と、新しいCorneliusを聴きながら思うのでした:)
「まざらないからこそ、屈折する」を芯にする、、、『REFRACTIONS』の意味と「和」をつなげて、もう一段遊べそうです。


