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本日の一冊

何者でもない私から、何者にも似ていない私へ...夢=光を見つける。才能=光を見つける。

*TAO LABより 


ビバリウム Adoと私小松成美・著/Ado・原作

Ado。
正直に言えば、ボーカロイドから生み出される楽曲は好みではなく、彼女の曲を熱心に聴いてきたわけではありません。
でも、この人の存在のあり方、つくり方には、とても興味があります。

顔を出さない。
苦手なことや弱さを無理に隠さない。
誰かに用意された「スター像」に自分を合わせるのではなく、自分らしさを守りながら、自分という存在そのものを作品として育てていく。

しかも、それは有名になってから始まったことではありません。
まだ何者でもなかった頃から、自分はどう在りたいのか、どう見せたいのか、何を届けたいのかを考え、自ら発信を続けてきた...そんなAdoの半生を、ノンフィクション作家・小松成美さんが3年にわたる取材をもとに描いたのが本作。

セルフプロデュースとは、自分を大きく見せることではなく、自分をよく観る、知ることなのかもしれません。

『ビバリウム Adoと私』であらためてそのことに気づきました。

ビバリウムとは、生き物が暮らす環境を小さな空間に再現した「箱庭」のこと。
Adoにとって、その最初のビバリウムは、自宅のクローゼットでした。
なるほど、あのステージ上の箱はその延長なんですね、そこから世界が始まった。

幼い頃から自分自身とうまく折り合えず、学校へ行けなくなった時期もあった少女が、インターネットの小さな画面の向こう側に「ボーカロイド」と「歌い手」の世界を発見する。

「自分も、ここへ行きたい。」
その小さな夢をキャッチし、自ら歌い、録音し、ネットへ放ち続ける。
やがて『うっせぇわ』で大きく世に出て、『ONE PIECE FILM RED』ではウタの歌唱を担当。
そして、その声は海を越えていった。

読んでいて感じたのは、これは単なる「成功物語」ではないということです。

奇跡の軌跡。

そう呼びたくなるような展開だけれど、奇跡は空から突然落ちてきたわけではない。
自分の内側に生まれた小さな「こうなりたい」を見失わず、それを自分の意志と行動によって、ひとつずつ現実のカタチへ変えていった。

私はそこに天命と夢の関係を感じました。

天命とは、どこかから「あなたはこれをやりなさい」と命令されるものではない。
何者でもない自分の内側に、なぜか強烈に惹かれるものがある。

「やってみたい。」
「ここへ行きたい。」
「こんな世界を創りたい。」

その微かな信号を夢としてキャッチすること。
そして、

想像する。
行動する。
創造する。

Adoの歩みには、その流れがとてもクッキリと見えるのです。

さらに私が興味深いのは、Adoという存在が海外へ届いていく方法です。
そこには、日本が世界へ誇るOTAKU文化とANIMEという表現文化との幸福な結びつきがあります。

『ONE PIECE FILM RED』のウタをはじめ、音楽とアニメーションが一体となることで、日本語の歌が「外国語」という壁を越え、映像、物語、キャラクター、感情とともに世界へ飛び出していく〜

これ、とても大切なヒントだと思っています。

これから私がやってみたいことの一つが、MANGAやANIMEを通して「日本語脳」を世界へ届けること。

日本語を外国人に「勉強してもらう」のではない。
日本語の奥にある感性や、世界の観方、人と自然との関係、「間」や「和」といったものまで、物語を通して体験してもらう。

そのためにANIME、音楽、映像、物語をどう組み合わせるのか?

Adoという存在のつくられ方、そして世界への届き方には、その未来を考えるためのヒントがたくさん詰まっています。

クローゼットという小さな箱庭から、世界へ。
世界を変える夢は、最初から巨大である必要なんてない。

誰にも見えない自分の内側で受け取った、小さな信号。
それを信じて一歩動いたとき、夢は「夢」のままではなくなる。

想像が行動となり、
行動が創造となる。

「あなたは、自分の内側から届いている夢を、ちゃんとキャッチしていますか?」

......そんな問いを手渡してくれる一冊でした。

そして、もうひとつ。

Adoという存在を見つけ、その才能を信じ、まだ何者でもなかった彼女を世に届けるために、自らも覚悟を持って動いたCloud Nine inc.代表・千木良卓也さんの存在と行動にも、心を動かされました。

どれほど美しい種も、土の中に眠ったままでは花を咲かせることはできません。
才能も同じです。

才能を持つ人がいる。
その光を見つける人がいる。
信じて育む人がいる。
そして、必要としている誰かへ届ける人がいる。

そのすべてが巡って、初めてひとつの才能が、この世界で花開いていく。

そう考えると、「才能を見つけること」も、ひとつの才能なのかもしれません。

人の中に眠る光。
まだ知られていない作品の中に宿る光。
土地や自然、暮らしの中で、誰にも気づかれず輝いている光。

私はこれからも、自分の持っている「光を見つける感性」を磨きながら、そんな光を見つけ、育み、必要な場所へ手渡していきたい。

自分自身が大きな花になることだけが、天命ではない。
まだ土の中にいる誰かの種を見つけ、「ここに光があるよ」と伝えること。

才能に仕える事。
それもまた、この世界に花を咲かせる、とても大切なシゴトなのだと思います。

*おまけ

ビバリウム

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