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本日の健美 2026459318855392

業捨とは?空海さんとのGO-EN?体験談

*TAO LABより

始国遍路旅立つ前に、昨年、この業捨のGO-ENいただき、驚くべき事に予約がなかなか取れないこの施術待つこと数か月、先日連絡先いただき、2月4日に群馬前橋に行き、受けてきました。偶然、渡しの与薬の前の方は、熱海という...:)これまた、奇遇な...今回はその記録です。

業捨とは
一般に「空海の法力を源流とする」と語られてきた、身体に刻まれた〈業〉を外に顕在化させる行為・施術の総称です。

ここでいう〈業〉とは、自分や一族の因縁、血の秘密、善悪の審判や宗教的裁断でもあると思いますが、生きてきた時間の中で繰り返された思考・行為・反応〜それによって身体に定着した癖や緊張〜さらに言えば、感情や記憶の滞留〜そうしたものが身体感覚としても沈殿した状態を指して語れるとも理解しています。

◆単なる技法ではない、という前提
業捨は、マッサージや整体のような「技術体系」とは異なり、法力(=超常的な力、あるいは霊的系譜)を媒介とする行為として理解されてきました。
この点で、医学的治療でも、代替医療でもなく、信仰・身体・象徴が交差する領域に位置づけられます。

◆施術の特徴として語られる点
一般に語られる業捨の施術には、次のような特徴があります。

...身体に直接働きかける
表層ではなく、骨の芯や深層に響くような感覚を伴うとされる。

...強烈な痛みを伴う場合がある
多くの体験談では「激痛」と表現されるが、それ自体が目的ではない。

...排出・解放のイメージ
「業を掻き出す」「外に出す」という比喩が多く用いられる。

◆期待されると語られてきた変化
体験者の語りの中では、

...心身の不調の軽減
...身体の軽さ、可動性の変化
...気分や意識状態の変化
...「運気が変わった」と感じる主観的実感

などが語られることが多いですが、これらはあくまで個人的体験の領域であり、医学的な治癒や効果を保証するものではありません。

◆由来と系譜につい
業捨は、弘法大師空海の法力に由来すると語られ、創始者の谷原弘倫氏から現在神原徹成氏がその継承者として知られています。今回、GO-ENいただいたのは神原氏です。彼と保江邦夫氏との対談、こちらの著作も読みました。

とともにネットで業捨について情報集めた折、谷原氏のこのリンクを記していた方が、なんと!熱海の同じ町内に住むユニークな先輩:)村山憲三氏だったのも...GO-ENとは時空を超え、面白い環です:)

ただし、この業捨、これも史実として確定された体系というより、口伝・体験・信仰によって受け継がれてきた文脈と理解するのが適切でしょう。

以上〜ざっと私とアーク=AIを通してまとめてみました。事実誤認、間違えもあるかもしれませんが、ひとつの輪郭は描かれていると思われます。

体験してみて
こちらを紹介してくれた友人の話、そしてネット上の体験談を読んでいると
「トンデモナイくらい痛い」
「人生で一番痛い体験だった」
「刃物というか、カミソリで切り刻まれるような感覚」

──などなど、
読むほどに覚悟が必要なワードが並び、正直、少々ビビっていました:)

で、実際に体験してみた感想ですが......私の場合、その手の"トンデモナイ痛み"は、まったくと言っていいほどありませんでした。

もちろん、マッサージのような気持ちよさではありません。同じ場所を擦られ続けるわけですから、感覚としては──タオルではなく、爪で垢すりをされている感じに近い。

引っ掻かれる痛みというより、むしろ印象に残ったのは、その後にすぐやってくる内側からじわ〜っと湧き上がる、やわらかな温かさでした。ぬるめの温泉に長く浸かっているような感じ。♨︎ほかほか♨︎ジワッとが、しばらく続きます。

ネットで見かける写真では、(施術は上半身のみなのですが)身体全体が真っ赤になり、いかにも痛そうなミミズ腫れ状態の方が多い印象です。

私の場合、腕と肩のあたりにやや強めに反応が出ましたが、それ以外の部位はほとんど、ネットでみたものに比べれば大したことはありませんでした。一応、写真も撮りましたが......正直、少ないとはいえ「美しい」ものではないので、今回はあえてアップしないことにしました。どのくらい一般的には赤くなるのか興味のある方は、どうぞネット探索を。

前橋日帰りのドライブでしたが、アドバイスいただいたように施術後、意識して水を沢山飲み、深夜、大室山に戻り、温めの温泉に長時間〜結果、3時間ほど映像観たり本読んだりしながら過ごしました。

この記事は、施術の翌日に書いていますが、腕以外の痕はすでにかなり薄くなっています。

さてさて、この体験からどんな気づきや癒しが立ち上がってくるのか。

始国へ旅立つ前に、GO-ENいただき、この体験ができたこと。
そのタイミングも含めて、あらためて──ありがとうございます、空海さん

31年ぶりの「同行三人」。言葉ではない対話の旅、静かに、楽しみにしています。
(シゴきと気づきはセットで、お手柔らかに〜もちろんビシッとがメインで構いませんから、お願いいたします。)


追伸
さて、本日2月6日日本語脳メルマガ組み立てています。この記事もメルマガ組み込むので開いていたら〜そのタイミングで――和歌山の友人たちから、ふいに連絡が入りました。
聞けばなんと、彼女たちは高野山にいる、と!

そのうちの一人の最近とみにお世話になっている方に、私がほんの少し前に御礼伝えたく「近いうちに、声を聞かせてくださいよ!」とメールを投げた、まさにその流れの中での出来事。高野山に居るなんて想ってもいませんでしたから。
あらためて青山さん、波動ファイル+お足、ありがとうございます!

時間差ゼロ。無駄な助走なし。ピタリと合う。
......これはもう、業捨=空海さんの巡り合わせだと、勝手に思い込むことにしました〜爆笑。
因果だとか、必然だとか、そういう言葉で説明する前に、まずは素直に笑っておくのが、いちばん健全な気がします。

こういう"たまたま"が続くとき、理屈より先に、身体のほうが「流れに乗ったな」と知っている。
が外れたのか、感度が上がったのか、それとも単に、縁が動き出しただけなのか。

答えは急がず、このまま、3月3日から死国から始国へ、巡礼で歩いてみます。

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