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『四国88ヵ所歩き遍路の記 vol.5』二度あった!!!SFではなくBOF=ぶっ飛んだ驚くべき不思議な体験の覚え書き その1
『四国88ヵ所歩き遍路の記 vol.4』では、SF──少し不思議な体験をいくつか記した。今回はその続きだが、これはSFではない。B0F──ぶっ飛んだ、驚くほど不思議な体験の記録である。
『四国88ヵ所歩き遍路の記 vol.2』、『四国88ヵ所歩き遍路の記 vol.3』でお伝えしたように前回の遍路の前半は、アクシデントの連続だった。とくに右足の故障は深刻で、歩き遍路という選択そのものを呪いたくなるほど、地獄のような日々が続いていた。
四国に向かってから、およそ二週間後。
記録は残していないが、その日が3月17日、自分の36回目の誕生日だったことは、なぜか憶えている。前半は雨が多かった印象があるが、その日も、やはり雨だった。
そして、この日が徳島最後の日だったように思う。
発心の道場、阿波・徳島には23の札所がある。1番・霊山寺から23番・楽王寺まで、およそ280キロ。
本格的に歩き始めたのは3月5日。4月8日には高野山へお礼参りをした記憶が、はっきり残っている。
3月3日、雛祭りに晴海を発ち、4月8日、花祭りに高野山へ。
この日程の並びがあまりに象徴的で、この記憶だけは、まず間違いないと思っている。
計算すると、4月7日には88ヵ所を結願していることになる。つまり、日々平均40キロ以上を歩いていた計算だ。
だが、徳島280キロを本来なら一週間ほどで抜けるところを、自分は12日間かかっている。
足の状態を考えれば、この頃は一日平均24キロほどだったのかもしれない。
誕生日を特別視する人生ではない。
けれどこの日も、痛む足を引きずり、ヒョコヒョコと歩き、冷たい雨に打たれていた。
...やはり、気持ちは沈む。
23番・楽王寺だったのか、それとも22番・平等寺、あるいは21番・太龍寺だったのか?正確には憶えていない。
ただ、記憶に残っているのは、小さなお寺だったということ。細い階段を上った感覚。境内は広くなく、どこか寂れた佇まいだった。人は誰もおらず、世界は鉛色。私の吐息と雨の音だけが、しとしとと、途切れることなく響いている。
切なさが、静かに満ちていった。
それと同時に、どうしようもない、やるせなさと惨めさが、胸の奥からせり上がってくる。
誕生日だというのに。祝う者も、祝われる理由も、ここにはない。
ただ、濡れた身体と、壊れかけた足と、行き場のない気持ちを抱えたまま、独り、本堂の前に立ち、手を合わせていた。...この旅で、毎日繰り返し唱えてきた「祈り」を、頭を下げ...今も此処で、発しようと...

その――瞬間だった。
突然、ビジョンとも云える視界が...大きく深くひらけた!!!
私をひとつの三角形の頂点として、その背後に、とんでもない数の存在が立ち現れた。
狭い境内の物理的な制約を遥かに超え、数え切れないほどの人々が、私の後ろに連なり、同じように手を合わせ、頭を垂れ、同じ祈りを、静かに捧げようとしている...それは想像ではなく、比喩でもなく、はっきりと「観えた」。
その瞬間、身体の奥から何かが決壊し、私は大声を上げて泣き崩れた。
――何のために、こんなことをしているのだろう。
――たった独りで。
――意味など、どこにあるのだろう。
――惨めなだけ。
自分の意志で始めたわけでもない。放り投げて、やめてしまいたいのに、やめることも出来ず、やめる勇気すら持てない、不甲斐ない自分。
その、情けなさの極みのような自分が、実は、こんなにも多くの存在に支えられて「今」歩いている。
こんなにも多くの人の積み重ねの果てとして、「此処」に立っている。
ご先祖さまなのか?魂的な繋がりの方たちなのか?また、過去世?未来の方?それは判らない。全てかも。
ハッキリ認識したのは彼らに推され、彼らと共に、唯一肉体を持つ彼らの代表として「今此処」にいる。
その事実が、一気に、胸に流れ込んできた。
「同行二人」が「同行三人」だというコトを実感し...どうしようもなく情けなく、同時に、どうしようもなく有り難い〜その両方が、一緒に、深く、深く、身に沁みてきて、私はただ、大声を出して独り、雨の中で泣くことしか出来なかった...
【四国88ヶ所歩き遍路】
本日から3月3日スタートまで日
【クラファン始動】
2025.12.05 → 2026.01.31
同行三人。あなたの〈夢〉と祈りを背負い、1400kmを歩きます。
そして----創り、残す「始国(しこく)」巡礼の書。
https://camp-fire.jp/projects/892092/view
よろしくお願いいたします、皆の衆:)


