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シン・カガク

"ミロクの世" その3 出口王仁三郎『世の大峠と信仰』

*TAO LABより
先ず、前回から引用

...その上で私自身が深く受け止めているのは、今、私たちに最も求められている役割――それが『応身』であるということです。

仏教的
3.応身(おうじん)/化身(けしん)
「衆生を救うために現れる仏」の姿。
→ 人々の苦しみに応じてこの世に現れる。具体的な形でを持ちます。

王仁三郎による「神の三つのはたらき」
3. 応身(おうじん)→ 「顕身(あきつみ)」
「人間に顕れる神」としてのはたらき。
→ 特定の人物に神が憑依し、直接的に人類を導く姿。王仁三郎自身もこの役割を担うとされた。

ここで注目すべきは「応」という文字です。
これは「呼びかけに応じる」という意味を持ちます。すなわち、ただ天から与えられるのではなく、その呼びかけに応じ、それを行う存在が『応身』なのです。
またその『応身』はたった一人ではなく、また、誰かではなく、アナタであり、それはワタシでもあるという...そんな想いが生じています。

この『応身』はこれから訪れる"369の時代"において重要な鍵を持ちます。これなくしては実現しないと確信しています。
すなわち――

立替え=破壊は『法身』『報身』が担う。
立直し=創造は、『応身』として私たち人類ひとりひとりが担う役割である。

要するに、「行動せよ」という呼びかけです...
以上


「行動」をするためには、目的が必要であり、それを具現化する手段が必要です。また、それを行う+継続するためには「信念」が核となります。
さて、長くなりますが下記、『三鏡』より引用いたします。

世の大峠と信仰  
神様は、人間を神に似せて造りたもうた。  

しかるに国祖御隠退以後の世界は、八頭八尾の大蛇や金狐の悪霊、六面八臂の邪鬼のすさびに犯されて、だんだんと神様と離れて、悪魔に近い人間になってしまった。人道日に廃れ、世のため人のため、国のためなど考うるものはなく、ひたすらに私利私慾にのみ耽る世の中になってしまった。  

このままで進んでいったならば、世界も人類も滅亡するよりほかはない。これはどうしても、ここに一大転換がきて、全人類が廻れ右を断乎として行なわなければならないことになるのである。  

悪魔を離れて、神様にむかわなければならない時がくる。かかる転換の期にあたって、人類は、かなり重大なる苦しみ、艱みのうえに立たせらるることは、必然である。

日常、神を信じ、神にしたがう大本の信者のうえにも同じ艱みは落ち来たるのである。  

大本信者のみが、独りこの苦しみを脱れて特別の場面におかるるような虫のいい考えをしていたものも往々にして昔はあったが、そういうわけにはゆかぬ。  

ただ、真の信仰にあるものは、かかる際、神様におすがりすることのできる強みをもっている。そして常に教えられつつあったことによって、先がいかになりゆくかの見当をつけることができる。  

この二つの信念のため、ただ自己をのみ信ずる無神無霊魂者より、はるかに容易くこの難関を切りぬけることができるのである。  

人間の力をのみ頼みて生活しつつある人々が、人力をもって如何ともすることのできない事実に遭遇するとき、その艱みや名状すべからざるものがあろう。  

人間は造られたるものである。造り主たる神様の御意志にしたがって行動してさえおれば、間違いないのである。

来たらんとする大峠に際し、信仰なき人々をそぞろに気の毒に思う。 (昭和七年六月・玉鏡)


...沁みます、この言の葉。

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「信仰心」とは、特定の宗教や神格化された存在を信じることに限定されるものではない〜今の世の中、その弊害のほうが顕著とも言えます。ちなみに私は「宗教団体」「教祖」「信者」の組み合わせ、大キライ!!!です:)絶対に関わりたくなく。
むしろ、それは人間自身の有限な自己意識を超えた次元にある、より高次の精神的原理や意識の存在を認識し、そこへ向かって自己を開く態度を指すことと想います。

この存在は必ずしも名や形を持つものではなく、言語化やイメージ化を超えた「抽象的な超越意識」として理解したほうが普遍的だと観じます。科学的に言えば、これは人間の脳が自己の枠組みを超えて「普遍的秩序」や「全体性」を志向する現象であり、進化心理学的には群れや社会を超える「大いなるもの」への帰属感や敬意の表出と捉えることができます。

すなわち、「信仰心」とは単なる信条の受容ではなく、人間意識が自己の限界を越えて「より大きな存在」へと接続しようとする知的・精神的プロセスと云えます。
さらに...

「信仰心」とは、外部に超越的存在を投影して仰ぎ見ることにとどまらず、それはむしろ、人間が自己の「内宇宙」とも呼べる深層領域へ沈潜し、その内部に普遍的な光=象徴的エネルギーを見出すプロセスだと確信しています。

この光は外的対象としての神像ではなく、意識の深層における根源的体験として現れます。神経科学的視点から言えば、それは人間の脳内で生成される「自己超越的な統合感覚(self-transcendence)」であり、心理学的には「自己の限界を超える感覚」が内面的イメージとして「光」として知覚される現象とも解釈できます。

この内的な光に触れる体験こそ、「信仰心」を単なる「信じる心」から、人生の指針となる「信念」へと昇華させる転換点となります。それは「依存」から「自立」というパラダイムシフト=リ・ボーンを生じさせます。
すなわち、「信仰心」は外界に答えを求める行為ではなく、内なる宇宙の深みで自己と全体のつながりを発見し、そのエネルギーを「生きる力に変える精神的機構」といえます。

「知ることは担うこと」〜ミロクの世の実現のために、今、「応身」として行動、生きる存在には「信仰=信念」が大切だとあらためて知りました。
「知ることは担うこと」〜「担うということは行動すること」
「HELP EVER HURT NEVER」「LOVE ALL SERVE ALL」を実践し、ひとりひとりが「Prema」になる、この369道、歩ゆむ時代到来。楽しみですね!!!

それは『日本人は救世主』『神を超えよ!仏を超えよ!』に通じます。
こちらの書籍と共にもう一冊『最終知識』〜この三冊、今の『三鏡』です。消化吸収するにはハードル高い書籍ですが、光の戦士にはマストなエネルギー与えてくれますよ〜:)

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