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LAB LETTER
思いっきり寝食を忘れ、物心エネルギーを放射したけど...作品にならなかった企画健忘録 その1
*TAO LABより
2008年9月15日、日本で最初のベジバーガ専門店「ManaBurgers」が福岡にてスタートした同日『田中嫺玉版 神の詩』を世に届けるために「TAO LAB BOOKS」もスタートいたしました。
出版社+編集勤務経験も無く、あらためてよくやったことと己の無謀さとともに情熱は我ながら認めます:)
その後、即、ご縁のあった北山耕平さんから『日々是布哇』再版の相談があり、インド、ハワイは自分にとって母国日本を挟み、特別な縁のある場所です。この流れに偶然では無い潮流=使命を感じ、引き続き二冊目として取り組みました。
なお、余談ながら北山さんは「ManaBurgers」がハワイ州観光局と一緒に創ったパンフレット冊子の原稿を書いてくれました〜この文、素晴らしく、先々、記録としてアップしようかと考えています。
その後、三冊目の本としてカタチにしたい方と出会いました。 日本を代表するサーフジャーナリスト+サーファの石井秀明さんです。
彼は70年代、日本で初めてのサーフマガジン『サーフィンワールド』を造り、その後、やはり日本で初めてのサーフトリップの映像『アジアンパラダイス』を当時の日本のトップサーファ+ジェリー・ロペス始めとする世界で著名なサーフ関係者たちと造った方です。
石井さんは80年代半ばより、想うところあり隠遁生活に入り、拠点を八丈島に置き、伝説の方となっておりました。
ある日ある時、「ManaBurgers」に1人のメローな笑顔+強靱な肉体を持つサーファの方が友人と食事に来てくれました。彼は『波羅門』という雑誌を持っており、その雑誌を読んでいました。 『波羅門』〜バラモン!?なんてセンスの良いタイトル、そして書体〜その雑誌が目にとまり、見せて下さいとお願いし、拝見したところ〜そう、1発でガツ〜〜〜ンとやられてしまったのです。その雑誌の編集長が石井さん、そんな彼が90年代半ばに1冊だけ造った雑誌だったのです。また、巻頭に書かれていた石井さんの文章がこれまた!ヤバく...シビレちゃいました。
「感動する」と「行動する」私はそれをきっかけにさまざまな縁を頼り、石井さんに手紙と上記二冊の書籍を八丈島に送ったのでした。 しばらく経ってから一本の電話が〜八丈に暮らす石井さんからでした...
彼曰く「アナタ、インドとハワイの本の継ぎにワタシの本を造りたいなんて、センス、いいじゃない」という、何とも嬉しい共鳴:)
私に言わせれば、サーフィン業界に縁もゆかりも無い、出版ド素人、何処の馬の骨かわからない私からのメッセージを波のように捉え、乗ってくれたこと〜流石、超一流の編集者、アンテナ優れてるなぁと感服したのでした。
で、「感動する」と「行動する」私は早速時間お金やり繰りし、八丈島へ飛んだのでした。
これをご縁に石井さんとの交流が始まり、結果は...即書籍化するには時が熟しておらず、自分の中ではこの書籍の「発酵」が始まったのです。
さて、数年、時は流れ...2013年故郷伊豆に戻り、25年ほどの超トンデモナイ爆発的なエネルギーを使い、国内外マワリテメグル=毎日がグルグル生活観光の日々から、ゆっくりと渡り鳥が羽を休めるように数年外にアウトプットせず、静かに過ごしていました...
続く...