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本日の一冊
江戸末期、母国のために孤軍奮闘、薩長に恐れられ、捕縛・斬首された小栗上野介復活!
*TAO LABより
前回のケネディー大統領の復活に続き、先日、精神学協会の学びのときに...この方、小栗上野介さんが復活、無念の想いと共に今の私たちを勇気づけるメッセージが届きました。
またしてもなんのこっちゃ?でしょうが 笑〜まぁ、死んでも死なない、見えない世界は存在するという真実が判る方には解る物語として楽しんでいただけましたら。
■小栗上野介(おぐり こうずけのすけ)
生没:1827年 ~ 1868年
幕末期の幕臣であり、幕府の外交・財政・技術近代化に大きく貢献した人物です。
役職:
幕府勘定奉行・外国奉行などを歴任
功績:
横須賀製鉄所(後の横須賀造船所)の建設を主導し、日本の近代工業の礎を築いた
外交交渉・財政改革・軍事技術導入に尽力
日米修好通商条約批准のための遣米使節にも参加(咸臨丸より先行)
なぜ惨殺されたのか?
背景:
幕府の有力官僚だったため、のちの新政府側に「幕府の中枢人物」として警戒された
彼らの命令で謹慎中に捕えられ、「謀反の疑い」や「反新政府の動き」を理由に私的な処刑を受けた
最期:
1868年(明治元年)、群馬県高崎近くで捕縛・斬首され、首は晒された
斬首された日:1868年(慶応4年)4月6日
元号改元:明治元年は 慶応4年9月8日 に改元された
したがって、
小栗の処刑は元号で言えばまだ「慶応」
しかし政治的には「明治新政府」が始動していた時期であり、事実上の「明治政府の処刑」です
裁判などはなく、事実上の私刑・暗殺に近い形でした
憑依とは云え、100%ではないので、私自身も存在し、私なのか彼なのか非常に困惑もいたします。
とはいえ、彼が私の身体を通して伝えたいことの真意はわかり、また、身体を使われると、当人の想いを共有追体験することが出来ます。
詳細はあえてここに記しませんが、怨みではなく、嗚咽として涙流れたこと〜のみ、お伝えいたします。
ですので、あらためて彼を知りたく、毎度の如く、ネットで調べつつ、まずは下記の書物3冊手に入れました。
開国の先覚者 小栗上野介:蜷川新 (著), 礫川全次 (解説)
覚悟の人 小栗上野介忠順伝:佐藤雅美
小栗上野介 :星 亮一
そんなに著名な方ではありませんが、書籍資料、他にもにもいろいろと存在しております。
また、2027年のNHK大河ドラマの題材に彼がなっているとのことです。
歴史にもしも?はありませんが、彼が江戸末期、西洋および薩長との戦いのために考えていた策が実行されていたら幕府側が勝利し、確実に時代は変わりました。
彼の活躍が出来なかったこと、もちろん敵の存在もありますが...仲間でもある身内の未熟な思考、やっかみ妬み等による悪意ある妨害が合ったこと、ハッキリと今回も認識いたしました。
たとえば、勝海舟さん〜維新の英雄のひとりという評価ですが、彼初めとする多くの当時の幕臣たちは小栗さんの薩長の江戸状況に対する戦略戦術を否定しました。が、それ、実行していたら「無血開城」という美談も、「薩長明治政府」もなかったであろうと、時が経ち、俯瞰すると判ります。
私の拙い経験からも、ミッションは後から、仲間と思われる方たちにも妨害されること、常であります。敵であれ、味方であれ、シンの戦場は自分自身の内宇宙に生じた思念想念との戦いということ、真実です。
私の今に至る霊的な体験のひとつにマレーの虎こと山下奉文さんの憑依体験があります〜31年前の出来事です。
山下さんの死に至る境遇と小栗さんの死に至る境遇そっくりです。
山下さんの相手はアメリカマッカーサー、小栗さんの場合は薩長です。
また、ここまで書いて感じたことは山本五十六さんと勝海舟さんもどこか、似てるなぁということです。
故人を貶めることが目的ではありませんが、やはり、歴史の真実を見極めること、あらためてとても重要ではないかと想います。
光の戦士として志半ばで肉体を離れた多くの英霊たちに〜感謝、あなた方の無念を引き継ぎ、働かせてください。
合掌