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アンドレ・マルローと日本的霊性 〜 那智の滝と伊勢への旅を偲んで by 竹本忠雄(作家、翻訳者)

*TAO LABより
先日、こちら「那智の滝...と、熊野三山」をアップしていますが、それに繋がる講演会が5月22日渋谷日仏会館にて行われるそうです。
下記、そのご案内より転載〜


1974年5月、アンドレ・マルローは日本へ4度目かつ最後の旅に赴いた。そのハイライトとなったのは、那智の滝、ついで伊勢内宮の前で喫した天啓とも称すべき衝撃的体験であった。そこから彼は多年にわたる壮大な芸術的探索に大団円を得て、これを最後の著作、『非時間の世界』と『文学とロム・プレケール』に記述し、2年半後に永眠した。

そのときマルローの得た体験とは何であったか、こんにち如何なる意味を持つかが改めて問われる。時にマルローに随行して出来事を目撃した立場で私は些かの感懐を述べたい。

第一に注目すべきは、伊勢・熊野路での出来事は偶然に起こったものではなく、1931年の初来日以来、37年間かけてマルローが深めてきた日本との契りよりの結実だったという点である。その意義を最初に公的に表明したのが、1960年2月、日仏会館新館竣工式におけうマルロー文化相の記念講演にほかならない。日本の本質は浮世絵的な美観ではなく隆信の重盛像に見られる武士道精神にあり、フランスをして「大和魂の受託者」(le mandataire de l'âme japonaise)たらしめよと説いたのだった。当時、会館の書記として開会式の舞台で司会をつとめた私は、このアピールに総身が震え、以後、マルローの終生にわたって(1976年殁)その教えを請うる身となった。

「日本的霊性は開かれている」、それは世界でも稀であり、ここに日本の世界貢献の道があると聞いたのが、マルローの最後の言葉だった。

この言葉と、「21世紀はふたたびスピリチュアルとなるであろう、さもなくばそれは存在しないであろう」(Le XXe siècle sera encore spirituel, ou ne sera pas.) との有名な彼の託宣とを重ね合わせて考えることによって、何を彼が最も日本に期待したかがより明かとならないであろうか。

「存在」危うき現代文明に、この託宣は重い。その確信をもたらしたのが、日本の熊野路から伊勢路への巡礼の古道だった。何を彼はそこで見たか。共にその足跡を辿りに出発しよう。

Malraux et Takemoto at cascade de Nachi.jpg

アンドレ・マルローと日本的霊性――那智の滝と伊勢への旅を偲んで

日時:2023年05月22日(月) 18:00〜20:00
場所:日仏会館 601号室
費用:無料
申込:https://www.mfj.gr.jp/agenda/2023/05/22/2023-05-22_andre_malraux_et_la/index_ja.php

*竹本忠雄(作家、翻訳者)
文芸評論家、詩人、マルロー側近・翻訳家。筑波大学名誉教授、コレージュ・ド・フランス元招聘教授。

1958年春、東京教育大学(現筑波大学)大学院修士課程終了して(修士論文『現代文学と神の死の傷痕:パスカルとマルローの比較研究』)日仏会館に書記として奉職、その半年後に来日して会館新館定礎式に臨んだド・ゴール将軍特使アンドレ・マルローと邂逅する。1960年2月、日本国とフランス第五共和国の国交樹立記念政府間式典が新館竣工式典と合わせて挙行され、仏政府代表マルロー文化大臣の歴史的記念講演が行われ、席上、会館館長ルネ・キャピタン氏の推挙により司会の役をつとめる。「フランスをして大和魂の受託者たらしめよ」とのマルローのアピールに心底感動し、東西文明の対話への貢献を一生の天職とする道を見いだす。。

フランス文学専攻と並行して、鈴木大拙・久松眞一の両巨匠に私淑して禅を学び、マルロー著『サチュルヌ、ゴヤ論』(のち翻訳出版)中の「サクレ」(le sacré)概念への両師の回答を胸に、1963年春、仏政府給費留学生として渡仏する。

1963~1974年の第1回滞仏と、2002~2007年の2度の長期滞仏をとおして、日仏文化交流を軸に、「対話」促進の諸活動に一貫従事する。大別して、前半は、パリ文壇で高い評価を得たル・モンド紙1971.3.19号に寄稿の禅論「解放の笑い」とNRF誌1974.4月号の「三島対バタイユ」を始めとする文芸活動と、日本大使館の文化技術顧問としての、フォンテーヌブロー城からルーマニアのブカレスト国立美術館に及ぶ日本美術展組織と講演活動を特徴とし、後半は皇后陛下美智子さまの御撰歌集『セオト せせらぎの歌』の仏訳刊行――深い感動を喚起した――を中心とするものであった。

その間にも一貫してマルローとの交流は続き、1974年5月、彼の最後の来日時にその頂点を画した。すなわち、3週間にわたる全行程に同行し、皇太子明仁と美智子両殿下へのマルローの御進講の通訳を果たし、那智滝と伊勢内宮での意義重大な彼の神秘体験を目撃した。このことは、1988年、コレージュ・ド・フランスに招聘されて――元日仏会館館長にして同学日本文明学部長ベルナール・フランク氏の推挙による――「アンドレ・マルローと那智の滝」連続講義に結実し、これは絶讃を博して著者にコレージュ・ド・フランス賞(実名刻印入りメダル授与)の栄誉をもたらした。(同題でジュリヤール社より刊行)。また日本向けには、『マルローとの対話』(人文書院、1996年)を出版し、全8回に昇る対話と最新研究を網羅して、「十全の書」と評価された。

2021年、全8巻の自伝『未知よりの薔薇』を刊行し、2023年90歳の現在、フランスで『三島・マルローマヤの旅人たち』を、日本では『フランス詩華集』を出版準備中。

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