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青山堂運歩 by 川島陽一

赤ちゃんの頃の首にもどろう  

わたしたちの生活周りには多くの家電が溢れています。パソコンや携帯電話、スマートフォンなどの普及により驚くほど便利になったことはある意味素晴らしいことにちがいないのですが、反面といえばこれらの電気製品の影響のもと、わたしたちが本来持っていた能力=頸椎の前彎(ぜんわん)、が崩れてしまいました。
整形外科のお医者様いうところのーストレートネックー近年はテキストネック(ディーン・フィシュマン博士による)といったりしておりますが、要するに本来人類のみがもつ綺麗な彎曲=直立歩行のためのもので、赤ちゃんのときに獲得(生後3~4か月)した脊柱の二次彎曲・頸椎前彎(けいついぜんわん)がくずれてしまいました。

その結果多くの人々が、首の凝り・肩こり・頭痛、・腰痛・耳鳴り・顎関節症などに悩まされるようになりました。同じ姿勢を続けることによる原因のみならず、いわゆる電磁波の影響もまた、わたしたちが本来持っている自己治癒の能力=自然治癒力の妨げになっていると考えられます。

「頸部前彎療法」というわたくしの整体では、上部頸椎と呼ばれる(カイロプラクティックなどで)頸椎の第一番および第二番を調整することにより、わたしたちが生来持っている治癒力=自然治癒力を発揮させます。このことは前回の記事でお話しいたしました。

わたしたちは母親の体内から生まれてのち、およそ三・四か月経過すると脊柱に二次彎曲が起こりますが、俗に「首がすわる」といい、このことにより体内での脊柱の後彎という哺乳類の一大特徴は前彎へと転じるのです。

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人間のみがもつ前彎は頸椎以外に、腰椎も含みます。つまりは、頸椎前彎・胸椎後彎・腰椎前彎・仙骨後彎、という柔構造なのです。

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直立は、人のみ。

余談ですが、鳥類ならば水族館や動物園で人気のペンギンがやはり頸椎の前彎を保持していることを、子供たちは知っていますね。「前彎」は、赤ちゃんが生まれてからやがて成長し一年前後に直立するための、じつにその準備だったのです。
 
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数学者として、『多変数複素系関数論』(『多変数複素系関数論』の内「ハルトークスの逆問題」を二十年かけて解決、その過程での概念を、アンリ・カンタン等が連接層という現代数学において重要な概念を定義するに至る)の解明により、湯川秀樹(一九四九年度ノーベル物理学賞)、朝永振一郎(一九六五年度ノーベル物理学賞)、広中平祐(数学者、フィールズ賞)らの学生時代に多大な影響を及ぼした、岡潔(一九〇一〜一九七八)は「情緒」(『情緒と日本人』(PHP文庫))の研究に晩年をささげました。

彼の考察によれば赤ちゃんは本来の持って生まれた純粋のこころを持っている。

「第一の心(真我(しんが))がそれであり、脳の活動としての「頭頂葉」がその「場(フィ―ルド)」である。(「真情(まごころ)の発見」 数学者 岡潔思想研究会 横山 賢二より)」
という。

さらに岡を引用しよう。

「第二の心は、頭頂葉に宿っている。無私の心(私を入れること出来ない心)であって、わかり方は決して意識を通さない。この心の中にはすべてのときがある。しかし空間も自他の別もない。第一の心は、この第二の心に依存している。第二の心を自分だと気づいている人を目覚めた人といい、第一の心の描く、妄像を自分だと思っている人を眠れる人という。」

岡は芭蕉の "秋風はもの云わぬ児も涙にて" を連想する、という。

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実は、わたしも幼児教育をかつて学んだことがある。
学生時代に中学生のサッカーのコーチをしていたつながりで、学童保育のアルバイトをした。要するに、単に子供と遊ぶのが大好きで、それが高じて大学を中退して、高田馬場にある保育学校に通ったのだ。

余談であるが、当時まだ男性の保育者は資格がなかった時代で、わたしは女性200人の中の、ささやかな存在だった。卒業と同時(一九七九年)に資格が法制化されたので、男性保育者の一号ではある。その後わたしは、知的障害といわれる(当時は、精神薄弱児者と呼ばれる)方がたの援助をさせていただく仕事をするのだが、それはいづれかの機会に。

赤ちゃんは意識をかよわせずに、ものごとがわかるのだと思う。
音楽のように「トーン=調べ」(芭蕉ならば、涙にて、とも)が赤ちゃんにあるのをわたしたちは知っている。「おぎゃあ」といい「うえ~ん」と泣く。むずかっているかと思えば、至高の微笑みを投げかける。そして、微かなメロディが、わたしたちの心のなかに鳴り響く。秋の風のごとくに。

老子は「嬰児復帰(えいじふっき)」といい、岡潔は「懐かしさと喜びの世界」ともいう。
両者ともに、幼児の世界の優位を語ってます。

赤ちゃんの世界に理性は、決して、働かない。理性を働かせないからこそ幸せでもある。
ひとには真心(まごころ)というものがある。ひとが真心に感激するとき、その人の心は無私の心となる。理性でわかるのではないのだ、と思います。 
仏教で、目覚めた人のことを「菩薩(ぼさつ)」といいますが、赤ちゃんははじめからそれをそなえているということではないでしょうか。
 
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老子『道徳経』第二十八章(老子『道徳経』「井筒俊彦英文翻訳コレクション」古勝隆一訳(慶應義塾大学出版会)p91-93に、
 
知其雄 守其雌 為天下谿
為天下谿 常徳不離 
復帰於嬰児

其の雄(ゆう)を知り、其の雌(し)を守らば、天下の谿(たに)と為る。
天下の谿と為らば、常徳は離れず。
嬰児に復帰す。

訳 
雄というものを知りながら、それでも雌の役目を守る、そういう人が、世界全体の峡谷(1)となる。
世界全体の峡谷となるや、(〈道〉)の永遠なる(2)〈徳〉は、かの人から離れることがない。
そしてかの人はふたたび、幼児の状態へともどってゆく(3)。

(1)峡谷は、受動的にすべての水を受け取り受け入れる。象徴的に言うと、この世の人類すべての最終的な憩いの場である。
(2)「永遠なる」とは、つまり絶対で変化しない、ということ。
(3)老子にとって、幼児は、その本来的な純粋さと単純さゆえ、〈有〉の人間的次元における最も完全な〈道〉の体現である。
 
さらに老子は続ける、

為天下谷 常徳乃足
復帰於樸 故大制不割

世界全体の谷間となるや、かの人は永遠なる〈徳〉で満たされる。
そしてかの人はふたたび、樸(あらき)の状態へともどってゆく。
だからこそ、最も偉大なものとは、未加工のものなのだ、と。

〈軸椎〉を中心におく〈頸椎前彎〉を赤ちゃんの頃にもどしてほしいということを、いまほど皆様に知ってもらいたいと思わないことはない。
軸を中心とした新たなる世界、が、そこに広がっているように思えてならない。
「神を超える、仏を超える」であるのであれば、それはまさに老子いうところの「嬰児」に戻ることなのであり、岡いうところの「懐かしさと喜び」の世界にもどること、なのであろう。

親からそして先祖代々より受け継がれ、貰い受けた、本来の治癒力。
自然の働き自然の力を発揮させることができたなら、どんなに素晴らしい未来が待ちうけることであろうか、と。


*頸部前彎療法 川島整体院・青山堂
代表:川島 陽一
住所:253-0021
   神奈川県茅ヶ崎市浜竹1-11-21 エバーグレース湘南110号室
電話:090-4598-2062
予約受付時間:午前9:00 ~ 18:00
       完全予約制となっております。お電話ください。
休日:不定休
Web:http://lordsis.web.fc2.com/About.html
E-Mail:lordosis11@gmail.com

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