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ホリステック・ライフに向けて by 中川吉晴

行為」の道とは何か -『バガヴァッド・ギーター』を読み解く- vol8 

*TAO LABより
同志社大学Well-being研究センターから2021年3月29日に小冊子『ウェルビーング研究 3』が発行されました。

その冊子には当社刊『神の詩 バガヴァッド・ギーター』を引用しながら同志社大学社会学部教授の中川吉晴先生"「行為」の道とは何か-『バガヴァッド・ギーター』を読み解く- "という論文が掲載されています。

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その論文を中川先生及び同志社大学Well-being研究センターのご厚意によりここに転載させていただけることとなりました。
ありがとうございます。
章単位ごとに12回に分け、連載させていただきます。
今回は8回めです。

では、今此処にいながら中川先生とともに時空を超えたギーターの旅をお楽しみください。


*8 カルマ・ヨーガとしての奉仕と援助
 ラム・ダスの師であったニーム・カロリ・ババの教えは、『ラーマーヤナ』に描かれたハヌマーンに見られる「献身と奉仕」である。ハヌマーンはその奉仕活動をつうじてラーマへ献身する。それゆえ「ハヌマーンは、バクティ(献身)とカルマ・ヨーガ(奉仕)の結びつきを代表するものである」(Ram Dass, 2014, p. 32)。ラム・ダスはニーム・カロリ・ババの教えに従って、みずからも奉仕活動(seva)を行なってきた経験から、奉仕や援助の活動をカルマ・ヨーガにふさわしい道とみなしている。

"この霊的な道は、変容のための手段(乗り物 vehicle)として私たちの行為そのものを利用する。すなわち、私たちは外的な行為をとおして内的な自由を得る。......すべての行為が潜在的には行為の道に役立つが、この道にもっとも容易に結びつく行為は、しばしば奉仕の道である。(Ram Dass & Bush, 1992, p. 134)"

 他者を援助する奉仕活動は行為の道として役立ち、それに取り組むことによって、援助そのものも、より自然で効果的なものになる。ラム・ダスは『ハウ・キャナイ・ヘルプ』(ゴーマンとの共著)のなかで、他者を援助する行為を詳しく論じている。ここでもラム・ダスは、援助する側が「援助者」という行為者に同一化することによって、援助者と被援助者という両方のアイデンティティが固定され、それが「援助の牢獄」を生みだし、援助を阻害することになると指摘する。これを免れるには、援助者は「援助者」というアイデンティティを手放し、行為者から脱同一化しなくてはならない。行為者から離れるには、行為者を観察することが必要である。

"私たちが自分の心の動きを観察してみると、これらすべてのアイデンティティの背後に気づきの状態があることがわかる。それはアイデンティティをすべてふくんでいるが、それでもなおそれらの背後にとどまることができる。個々のアイデンティティのなかに埋没してしまわないようにアイデンティティを手放してみると、私たちは軽やかに、ゆったりとしていることができ――いずれのアイデンティティにも排他的に同一化することなく、自分の存在のさまざまな面のなかで遊ぶことができる。私たちは特定の誰かである必要はない。私たちは「これ」や「あれ」である必要はない。ただ自由に存在しているだけでよい。
この自由を味わうと、私たちの柔軟性はこのうえなく増大し、他者への奉仕において、自分をより完全な道具とすることができる。(Ram Dass & Gorman, 1996, p. 32)"

 私たちはいつでも「誰か」(somebody)であろうとし、援助行為では「援助者」への過剰な同一化が生じやすい。それは燃えつきをもたらす原因ともなる。気づきにとどまるとき、自己の中心は、援助者(行為者)から気づきへと移り、私たちはその気づきのスペースのなかでくつろぎ、もはや「誰でもなく」(nobody)、ただ存在するだけになる。そこから自己の全体を眺めることができる。援助者にさまざまな反応が生じても、それらはすべて観察の対象となる。アイデンティティ、役割、イメージ、動機、期待、思念、感情など、こうした自分のなかに生じるものを、評価や非難をまじえることなく、あるがままに見つめることができる。

"「目撃」(Witness)は行為の最中でも私たちを非難することなく、やさしくつかまえるので、私たちはただ自分の反応に気づき、その反応を落としはじめる。そして自然な慈悲がもっと活動しはじめる。「目撃」は私たちに少しスペースを与える。(p. 68)"

 目撃、すなわち気づきは意志や感情や思考といった機能とは異なり、それらを超えて包む意識であり、それらがどんなものであれ、ありのままに受け止め、手放すことができる。気づきを高めることこそ援助者に必要とされる資質である。ラム・ダスは気づきを青空に、思考を雲に喩えて、つぎのように述べている。

"空はいつも存在している。空には雲があるが、空は雲のなかにあるわけではない。私たちの気づきも同じだ。気づきは存在していて、私たちの思考、感情、感覚をすべて包み込んでいる。しかし、気づきはそれらと同じではない。この気づきを、その広々としたやすらかな特質とともに認めることは、内面にある非常に有用な資源を見つけることにほかならない。(p. 102)"

 ラム・ダスは、気づきが増すなかで、より適切な援助が可能になるという。援助者アイデンティティに同一化しているときには、援助者は全体から分離し、自己は断片化しているが、気づきのうちにやすらいでいると、援助者へのとらわれから解放され、状況の全体に開かれ、それに波長を合わせることができるので、そのつどもっとも必要なものに焦点を合わせて自在にふるまうことができる。

"もしたゆまず取り組むなら、「目撃」への同一化が増大し、その一方で行為者であることへの執着が落ちていく。さらに驚くべきことに、行為者としての自己同一化が消えていくにもかかわらず、それでも多くのことがなされていることがわかる。(p. 195)"

 援助者という役割から離れ、もはや「誰でもない」という状態のなかで、ただ存在し、くつろいでいると、被援助者も「誰でもない」存在になり、両者は分離した存在ではなくなる。このようにラム・ダスは、他者を援助する活動のなかにカルマ・ヨーガの最良の実践を見いだしている。

...つづく

*中川吉晴先生 著作

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