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ホリステック・ライフに向けて by 中川吉晴

「行為」の道とは何か -『バガヴァッド・ギーター』を読み解く- vol1 

*TAO LABより
同志社大学Well-being研究センターから2021年3月29日に小冊子『ウェルビーング研究 3』が発行されました。

その冊子には当社刊『神の詩 バガヴァッド・ギーター』を引用しながら同志社大学社会学部教授の中川吉晴先生"「行為」の道とは何か-『バガヴァッド・ギーター』を読み解く- "という論文が掲載されています。

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その論文を中川先生及び同志社大学Well-being研究センターのご厚意によりここに転載させていただけることとなりました。
ありがとうございます。
章単位ごとに12回に分け、連載させていただきます。

では、今此処にいながら中川先生とともに時空を超えたギーターの旅をお楽しみください。


*1『バガヴァッド・ギーター』とは何か
 『バガヴァッド・ギーター』(The Bhagavad Gītā)はヒンドゥー教随一の聖典であるだけでなく、世界の叡智の伝統においても最上位に位置する聖典のひとつである。「神(至上者)の詩」という意味をもつこの聖典は全18章700連の詩節からなり、大叙事詩『マハーバーラタ』の第6章に挿入されており、通常「ギーター」と呼ばれている。ギーターは『マハーバーラタ』に描かれた戦乱の場面におけるアルジュナとクリシュナの対話からなっている。

 ギーターの魅力はいったいどこにあるのか。この聖典は人生を真正面から問い、至高の生き方を直截に説いており、そのことがヒンドゥー教徒にかぎらず、多くの人びとの共感を呼んできたのではないだろうか。
ギーターは仕事の哲学を説き、行為の秘密を明らかにしている。仕事や労働を免れることのできない私たちにとって、この聖典は、どんな行為も束縛となることなく解放への道になると教えている。

 ヒンドゥー教では、リグ・ヴェーダをはじめとするヴェーダ聖典のようなシュルティ(天啓聖典)、マヌ法典に代表されるようなスムリティ(伝承聖典)といった聖典があるが、ギーターはそれらをさらに凌駕する位置にあるという。赤松明彦氏(2008)によれば、『バガヴァッド・ギーター』は「ヒンドゥー教の数ある聖典の中のひとつ」ではなく、「宗教的に見てヒンドゥー教の聖典の中でその重要性が最も高いものという意味で」(pp. 35-36)、ヒンドゥー教の聖典と呼ばれると述べている。ギーターがそのような地位にあるのは、聖仙(リシ)が見たり聞いたりすることによって伝えた聖典ではなく、神(クリシュナ)みずからが姿をあらわし、一人称で教えを説いたものだからである。「ここには、明らかにシュルティとはレベルの異なるまったく新しい聖典の誕生した姿を見ることができるであろう。『バガヴァッド・ギーター』こそは、ヒンドゥー教における信仰のあり方の転換点であったに違いないのである」(p. 41)と、赤松氏は指摘している。

 ギーターに影響を受けた人は数知れないと思われるが、たとえば、ガンディーは生涯にわたりギーターを精神的拠り所としていたことで知られている。赤松氏によれば、ギーターは1785年にサンスクリット語文献として最初に英訳された。西洋でもよく知られ、アウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲルのラテン語訳(1823年刊)を読んだヴィルヘルム・フォン・フンボルトは感激のあまり、ギーターを人類最高の「哲学詩」と絶賛した。そしてみずからも独訳を試み、1825年と26年にギーター講義を行なっている。またシモーヌ・ヴェーユは1940年にギーターに出会い、亡くなるまでの3年間ギーターに深く取り組んでいたという。

 神秘哲学者のルドルフ・シュタイナー(Rudolf Steiner, 1861-1925)は、彼が人智学を立ち上げる重要な時期(1912年)にギーター講義を行なっており、19世紀にギーターが紹介されたことは西洋の精神史において「特別な事態」であり、それによって古代ギリシアよりもさらに過去に遡る東洋の太古の叡智が知られることになったと述べている。そして現代の神秘学は、この聖典のなかに登場する思想と再び結びつき、それを甦らせなくてはならないと力強く語っている。

"私たちは今、新しい時代の中で新しい霊性の働きを感じとらなければなりません。だからこそ、この新しい時代は、古代ギリシアを超えて、西暦前一千年の歴史の背後に隠された秘儀、ヴェーダ、サーンキヤ、ヨーガとして今私たちの前に提示されたものを理解する必要があるのです。"
(シュタイナー, 2017, p. 36)

 シュタイナーによると、ギーターのなかでは、ヴェーダ、サーンキヤ、ヨーガという東洋のもっとも重要な三つの精神潮流が調和的に融合しているという。ここでヴェーダとは、アートマン(ātman, 人間自己)とブラフマン(brahman, 宇宙自己)の同一性を説く霊的一元論であり、サーンキヤとは、外的な宇宙の諸形態を研究する科学であり、ヨーガとは、魂を高次レベルに向上させる内的解放の道である。クリシュナはこれら三つの精神潮流を統一的にアルジュナに伝えているのである。

 『バガヴァッド・ギーター』は紀元後1世紀頃に現在のような形になったと言われているが、それに先立つ伝統や諸思想、たとえば、祭祀中心のバラモン教、梵我一如を説いたウパニシャッド哲学の一元論などを基盤としながら、クリシュナ神の一神教的な体系を打ち立てている。ギーターの最大の特徴は、先行する思想動向とは基調を異にする人格神による教えを説いている点である。たとえば、パリンダー(2001)は以下のように指摘している。

"『バガヴァッド・ギーター』は、「ウパニシャッド」、サーンキヤ・ヨーガ派の哲学、仏教から多様な思想を受け継いでおり、一神教を強烈な基調にして、多くの要素を一つに織り合わせた驚くべき合作である。"
(p. 156)

 ニロッド・チョードリー(1996)は、ギーターには二つの古い要素と、二つの新しい要素が不統一のままふくまれているという。古い要素というのは、ウパニシャッド以来のジュニャーナ・ヨーガであり、もうひとつは自己修練の伝統である。これに対して二つの新しい要素とは、行為と愛に関する教えであり、それぞれカルマ・ヨーガ(karma yoga)とバクティ・ヨーガ(bhakti yoga)と呼ばれる(p. 322)。

 ギーターに登場するクリシュナ(Krishna)はヒンドゥー・パンテオンの神々とは異なり、人格神である。

"この神は全知全能であり、いたるところに遍在し、しかも抽象的な存在ではなかった。かれは、人格神であり、同時にそれ以上のものであった。かれは完全な人であるとともに、完全な神であった。"
(p. 325)

 チョードリーはこのように述べ、クリシュナとイエスの類似性を指摘する。この神を礼拝するには、バラモン教にあるような祭式は必要とされず、キリスト教とよく似て「完全な自己放擲と愛のみ」(p. 325)が求められる。これがバクティ(信愛)の教えであり、新しい宗教感情として、ギーターのなかではじめて完全に説かれたものである。クリシュナは、シヴァと並ぶ最高神ヴィシュヌの化身とみなされ、またヴィシュヌと同一視されもする。つまり「クリシュナはヴィシュヌ神と同一視されることで、一神教的信仰の最高の人格神になったのである」(p. 320)。


...つづく

*中川吉晴先生 著作


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