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「真我への目覚め」岡潔 解説:横山 賢二

はじめに〜横山賢二

*TAO LABより
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真我はこの太陽系ならお天道様かと〜:)

新年あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

さて、昨年秋より、探求している岡潔さんの存在。
元旦より、「真我への目覚め」全33回を「民族の危機」に続き、転載していきます。
まずは、横山さんの"はじめに"から

*はじめに
 岡の晩年中期の核心である第10識「真情の世界」を皆さんにお伝えするために、5年の長きにわたって解説を書いてきたのだが、前回までに何とかそれを達成することができて、私は今までにない感慨に浸っている。

 これはこの5年間の目標であったばかりではなく、この「真情の世界」の資料を岡家で初めて目にした30年前からの目標でもあったのだが、実はもっと遡って私が生まれてくる前からの目標ではなかったかと思うのである。つまり今では私はこの解説を、世に伝えるために生まれてきたに違いないと思っているのである。

 さて、この解説のこれからの方針であるが、順当に考えれば京産大講義録72年をこれから順次お伝えしていきたいと思うのだが、実はその前に1つ私にとって非常に大切な作品が抜けているのである。

 それは私が38歳の時(岡没後丁度10年)、岡亡きあとの岡家へ行き晩年未発表の資料が残されていることを知るきっかけとなった、記念碑的作品である復刻版「日本民族の危機」に収められている「真我への目覚め」1967年である。

 私は若い頃からこの作品に心ひかれていたのだが、38歳を迎える頃になって何故か再びその作品にひきつけられ、毎晩毎晩仕事から帰るとこの作品を熟読したものである。その内容は当時の常識とは駆けはなれたものであったにも拘らず、私は「やっぱり、これが正しいがなー!」と何度もつぶやきながら読んだものである。

 そうしたある夜のことであるが、私は眠りから突然目がさめ「よし、岡家へ行こう!」と思ったのである。そうして直ぐに岡家を訪ねたのだが、その結果岡家には多くの未発表の資料が残されていることがわかったのである。従ってもしあの夜「よし、岡家に行こう!」と思わなければ、今日の岡潔思想研究会はないばかりか、岡の晩年を世に問うこの解説も日の目を見なかったのかも知れない。

 実は岡自身にも次のような経験があるという。不思議なことに、岡は時代が隔っている道元禅師に一度じかに対面したというのである。そのきっかけを得たのは正法眼蔵であって、岡は正法眼蔵の核心は「心不可得」、その扉を開く鍵は「生死去来」であると、その2句に追い詰め思いを凝らしていたその刹那に、突然時空を超えて道元禅師の僧坊にかつぎ込まれたというのである。

 誠に次元は低く畏れ多いことではあるが、当時この私も岡の思想の核心をこの「真我への目覚め」に追い詰めていったことになるのであって、その刹那にあの夜岡に突然呼ばれたのではないかと私は秘かに思っているのである。

 さて、この「真我への目覚め」は「春宵十話」からはじまって、岡が一連の著作を世に著した晩年初期の思想が次第に整理統合され、それまで岡が考えていた仏教の「真我」「小我」というものと、西洋心理学の「知情意」とが岡の心の中で自然に融合し、人の「知情意」には深い「真我の知情意」と浅い「小我の知情意」と2つあるという、誠にユニークな結論を導きだした革期的なものなのである。

 皆さんは今まで「知情意に2つある」などと考えたことや聞いたことがおありだろうか。今ある人類がもつ心理学では、西洋の影響を受けて「知情意はただ1つである」としかいっていないのである。だからこれはいってみれば、20世紀に達成された「心の世界」における東洋と西洋の融合ということであって、以外と簡単な構想ではあるが実は人類はじまって以来のことなのである。そればかりかこう仮定しなければ、人類共通の「心の構造」を解明していく糸口は決して掴めなかったのである。

 そういう意味でこの「真我への目覚め」は、岡の晩年初期の集大成であるばかりではなく、晩年中期の1969年の「第1の心」「第2の心」の構想や、それにつづく1972年の第10識「真情の世界」の発見に向けた、まさに出発点ともいえるものなのである。

 猶、この完成度の高いとよくいわれる「真我への目覚め」は北陵中学校の生徒ではなく、当時懇意であった校長や教職員に対しての講演である。この日、生徒達には「私の少年時代」という講演が残されている。

 更にもう1つ言い添えておきたいことがある。実は我が研究会の初代名誉会員である大野長一先生であるが、私は先生にこの「真我への目覚め」の手作り冊子を生前にお渡ししてあった。

 しかし残念ながら先生は3年後に87歳で亡くなられたのだが、先生の愛用のカバンを開けてみると、何とその中からその冊子が出てきたのである。よく見てみると文中のいたるところに棒線を引き、ページの角は丸くすり切れボロボロになるまで読み込まれていたのである。

 先生は当時土佐では珍しく日本の心を自覚した人物であったのだが、生涯の終りにしてやっと、ご自分の本心を忠実に物語ってくれる思想に巡り会ったと思われたのではないだろうか。先生の辞世の句は誠にシンプルな次の句である。

 コスモスの花は白色日本晴れ

 コスモスは秋の花ではあるが、宇宙、世界とも取れるから、これからの世界は「日本晴れ」だという意味に私は解している。

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*数学者岡潔思想研究会 横山賢二

*岡潔思想研究会
http://www.okakiyoshi-ken.jp/index.html

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