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本日の一冊

最終知識

*TAO LABより
メリークリスマス〜:)

平成最後の師走を迎えたこの時期にどうしてもこの書籍をピックしたく、ここにご紹介します。
中途半端になってしまう感想は書かず、書けず、著者の説明を掲載します。
なにか触れた方は自らの意思でこの書を手にとってください。

来年から新しい天皇のもと新しい年号での生活が始まります。

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これを、知るために2000年の時間が必要だったのだ。
人間という存在のかたちのみが、光と闇を分離できるというこの宇宙の生命から意識へという精神進化の法則こそ、究極の意志のあらわれなのだ。
「精神学」のルーツはここに存在する。

最終知識
積哲夫 :著
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「それは、人知によらず・・・」著者による最終知識の説明

この書は、記述した本人ですら、読むたびに発見があるという不思議な知の案内書です。
この書の周辺では、奇跡のようなことが起きる可能性も高くなると、私は伝えられています。これまでの経験では、それは現実となっているようです。

この書が、人知によらず、神知によって記されていることを、私なりに説明しておきます。

「最終知識」の本文で、私は中山ミキのおふでさきとして、「たかあまのしんのはしらがカラビトや」という言葉を記しました。このおふでさきは、東洋文庫のおふでさき(等三号)の57行目では、「高山の真の柱は唐人や」となり、それぞれの漢字には「タカヤマのシンのハシラはトウジンや」というルビがふられています。

また、これとは別に、徳間書店刊の「神々の黙示録」という金井南龍を中心とした対談の本の注における天理教の解説では「高山の真の柱が唐人や」と書かれ、ルビは「高山のシンのハシラがカラビトや」になっています。
「最終知識」では、「タカヤマ」ではなく「たかあま」と記述してあります。

これは、そのように記述するようにとの指示があったからです。
東洋文庫のおふでさきは、中山ミキを継いだ天理教が公式に認める読み方です。つまり、中山ミキがこう読めと指示したものではないのです。

また、「神々の黙示録」という本のなかには、出口王仁三郎の名前は、正しくはオニサブローと読むべきだという記述もあります。もともとの出口になる前の名を上田喜三郎といい、喜三郎という名前の喜のかわりに神が鬼という文字をあてはめたという伝承があるので、人知では、それが正しいことになるのでしょう。

しかし、「最終知識」はワニサブローと記述しています。それは、そういう音と文字で通信されたからです。

人間的な、あるいは学問的な知識のある読者が、こうした面から、「最終知識」に疑念を呈することは自由です。それを承知で、私は書くように指示されたのです。

同じことは、ナマコ型宇宙についてもいえます。
NASAが発表した楕円形の宇宙図は、地図と同様、投影法によって、表現されたもので、科学的には宇宙の立体的な姿はまだ確定されているわけではありません。しかし、私は私が見せられたナマコ型宇宙について記述するよう求められたのです。

「最終知識」とは私と私をつかさどる存在、そして、地球の神と神々との共著といってもよいものです。
その記述の過程で、私が、人知の側から誤解を受けやすい表現を変える提案をしたことは、いく度もあるのです。変った場合もあるし、変らなかった記述もあります。変えるに及ばずの説明は、常に、それは、現時点での人知に過ぎないというものでした。

いちばん象徴的なのが、中山ミキのおふでさきの「高山」なのです。
あの時代、「たかあま」と記述したら、どうなったか。本来は、「高天原」の「高天」という文字が正しいのだという解説には、人知の側に立つにしても、説得力があるではありませんか。「最終知識」とはこのようなプロセスを経て、成立しています。

読むたびに発見があるということは、もうひとつの側面として、知の不足の自覚にはじまり、現時点での謎も深まっていくことになるのです。そのとき、神知の存在を、否定するのは簡単です。しかし、その否定もまた、知のプログラムの一部だったりするのです。

私の希望は、著者に回答を求めず、読み続けていただくことだと申し上げておきます。人生のなかに何らかの回答があり、思考することの先に神知と人知の接点があるのですから...。

2006年12月18日 積哲夫 記

*PS TAO LABより
積さんに初めてお目にかかったのは今からちょうど2年前の12月大阪にある彼の事務所。

直接の紹介をしてくれたのは久しぶりに本を作ろうかと書籍化を考えていた著作の著者となる方だった。この著者の方は特異な人生を送っており、その存在をその年の初春に知ったときにその流れで積さんの存在も知ることとなった。

それをきっかけに断片的に積さんが書いたものや行ってきたことを調べ、大変興味を持ったことがこの出会いに繋がった。

まだその時は上記の著作はどのようなカタチになるか一切決まっていなかったが、はじめて積さんにお目にかかったこのときにビーンと響き感じるものがあり、この本の解説をいきなり頼んだのだった...有り難いことにその場で積さんは受けてくれた。この本は積さんの解説受諾から制作が始まったんだ。

...近々、その著作に書いてくれた解説をこのマガジンに転載しようと思っている。この解説に書かれていた内容を伝えるためにこの著作を作ったともいえるからだ。

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