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Hideki SHIRASAWA
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Spritual Archive
●マナ カード

Covermanacard マナ・カード—ハワイの英知の力

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■小室山慰霊塔

ご無沙汰です。

二ヶ月にわたる肉体労働をさらに伸ばし、引き続き心身のリセット〜この後のミッションワークのためにやらせてもらおうと思います。

今回の場所は小室山の頂上付近。昨日から新たにスタート。駿河湾や熱海、富士山や天城の山々を観ながら大空の下、自然の中での作業、良き機会をいただいています。

今まで知らなかったのですが、ちょうど作業を行っている場所の横には伊東や宇佐見出身者の戦没者の慰霊碑と慰霊塔が3つ置かれていました。
先の戦争のみではなく、明治の時のものも。

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慰霊塔の中には「帝国在郷軍人会伊東町分会海軍部旗」があり、東郷平八郎元帥の直筆が添えられている。昭和4年、東郷元帥の晩年、伊東市松原に別荘を建て、この地で静養していたそうです。東郷元帥は昭和9年86歳で死去。

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余談ですが、伊豆に戻る前に住んでいた福津(=日露戦争日本海海戦の戦場であった玄界灘)には東郷神社がありました。再び、東郷元帥との出会いが。

東郷元帥、先の戦争に対してもし生きていたならどのような考えを持っていたのか?
毎度のことながら戦争を美化するわけではないですが、日露戦争まではどこかしらまだ武士道や騎士道精神が尊ばれていたような。

その後、第一次世界大戦からは武器や兵器による壮絶で悲惨な一般の市民すらも多数巻き込む大虐殺ともいえる戦争を行ってきた人類。
その過ちは懲りもせず未だに続いています…科学が進歩し、物質的にはとても豊かになったが残念ながら精神的霊的には退化しているような…

戦争の犠牲者、平和の礎になった方たちにあらためて合掌。


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■「人間の住む静かなる大地』へ〜序章その1

“アイヌモシリ 血の巻”はまだ終わっていない。今月14日からの二風谷村を訪ねる旅が血の巻のメインともいえる。今回の旭川の旅をアップする前にそこに至る経緯を纏めようと思う。

今からちょうど20年前、1994年。
この年は自分にとって大きな変化の時だった。明治維新ならぬ自分維新…その前とその後ではまるっきり外や内を観る視点が変わったんだ、、、それぐらいのインパクトのある出会いがあったんだ。

それは何度かブログにも書いている3大恩人の一人(正確には二人)との交流、ある僧侶夫妻とのディープな魂の体験。
これをコトバにして伝えることはあやふやな記憶力と拙い文章力しか持たない自分には難しい。多分、辿り書いたところで共感どころか理解すらもしてもらえないだろう。それはそれは不思議な…というかリアルな真実、目から鱗の体験だった。

それ以前も魂やUFO、ドラゴンや妖精たちの存在を。
また、人は死んだらどうなるのか?また宇宙はどうなってるのか?
天国や地獄って?
神様はいないはずがないでしょう、自分がいるんだらか。
この次元以外の次元もあるでしょ、過去や未来もあるんだから。…

などなど感覚的に受け入れていたけど、それをリアルな真実として体験させてもらったんだ。あらためて納得したんだ。「なるほど、ねぇ〜やっぱり、ねぇ〜」っと。
もちろん大河の一滴でしかない存在の自分は大海原のすべてを理解することは出来ない。でもその大海原も無数の一滴の存在で成り立っている。

そんな怒濤の体験のさなか、ブレイクタイム 笑 もあって、お茶を飲みながら何気ない歓談をしたりもするんだ。それは、本当に何気ない会話で。

そんな最中、突然、
「*アイヌ…」「アイヌと関係ある?」って言われたんだ。
「いえ、寒いところは嫌いだし、、、身内からも聞いたことないですよ。」
「あっ、そう…」
そしてその話は終わり、他の話へ。

でも、何気ないその時限りのその問いかけは…なんでか、ず〜〜〜っと頭と心と魂に残ってしまい。逆に言えばその3つの状態に残ってしまうということが、今になって思うけどROOTSを辿るきっかけになったパズルの最初の1枚だったんだ。

大切なことは何気ない振りをして突然自分の扉を叩く…
つづく…

AinuGroup20140704171225.jpg

*アイヌ
アイヌとはアイヌ語で「人間」を意味する言葉で、もともとは「カムイ」(自然界の全てのものに心があるという精神に基づいて自然を指す呼称)に対する概念としての「人間」という意味であったとされている。

世界の民族集団でこのような視点から「人間」をとらえ、それが後に民族名称になっていることはめずらしいことではない。例えば、「イヌイット」はカナダ・エスキモーの自称であるが、これはイヌクティトゥット語で「人」を意味する Inuk の複数形、すなわち「人々」という意味である。また、7世紀以前、日本列島に居住した民族は、中国から倭人と呼ばれたが、これは自らを「我(ワ)」と呼んだためとする説がある。他にも、タイ族やアニ・ユン・ウィヤ族、カザフ族などにも、民族名に「人」の意が含まれる。

アイヌの社会では、アイヌという言葉は本当に行いの良い人にだけ使われた。丈夫な体を持ちながらも働かず、生活に困るような人物は、アイヌと言わずにウェンペ(悪いやつ)と言う。

これが異民族に対する「自民族の呼称」として意識的に使われだしたのは、和人(シサム・シャモ)とアイヌとの交易量が増えてきた17世紀末から18世紀初めにかけてだとされている。理由はアイヌが、「蝦夷(えぞ/えみし)」と呼ばれるのを嫌い、「アイノ」と呼ぶように求めたとされているが、呼称そのものが普遍化したのは明治以降になってからのことである。
〜wikipediaより

アイヌとは自分にとっては縄文人ともいえる。沖縄や南方諸島の方にもそれは感じる。
日本人は単一民族と思われているがそれは違うと思う。
たくさんの血が混じり、混血を超えてしまって成り立っているのが今の日本人だと思う。

「和」というのは「多様性」が共存している状態。
「調和」「大和(大きな調和)」とはそういうことだと思う。
「ハーモニー」とか「虹」も一緒だと思う。

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■「人間の住む静かなる大地』へ〜序章その2

僧侶夫妻とはこちらから連絡を取り、会うことは出来ない。

少し話は横道に逸れるが…

1994年夏からの交歓(*サットサンガ)は翌年まで続く。その年の秋には世界でも珍しく日本のワイドショー等でインドの聖者サイババや聖母アマチが紹介される〜どちらかというとキワモノ扱いで。
翌年、1月神戸の震災があり、3月オウム事件が。その時はちょうど自分は僧侶のアドバイスに従い四国の遍路歩きに旅立っていたんだ。

その魂の旅のスタートは知人の変死+叔父の突然の自殺から始まった…頭を剃り、玄米のオニギリを中心とした素食(当時のパートナーアンナさんより定期的に送られて来た)を食し、前半は足を引きづりながら歩いていた。
そんな旅の中盤、銭湯で髪の毛も少し生え、汗を流していた自分におそるおそるトラックの運ちゃんが声をかけて来た…「アンタ、オームぢゃないよねぇ?」と…最初は???。そしてお互い爆笑。それでオーム事件を知った次第。

そして四国から戻ってきてすぐに僧侶夫妻との交歓は切れる…いや切られるといってもよいと思う。突然の出入り禁止。いろいろな要因があると思う。
もちろん不徳の致すところもあったうえで、大事なこと=真実は手取り足取り教えてはくれない、教えられないと悟った。また、霊的な学びをする上での危険性=依存性を回避してくれたのだとも理解している。

本当の学びは頭のお勉強ではなく、体験あるのみ。また御天道様とのマンツーマン。でもいつも道しるべ=魂のMAPを与えてもらえる自分はラッキーだと感謝。*イヤイライケレ 。

その後、僧侶夫妻とのサットサンガは3回、復活する。
突然、連絡が入る、現時点で計4回の交歓。3回目のサンガはFAXのみといったカタチ。
それらは毎回、素晴らしく、深く、驚きで、また恐ろしく、辛く、有り難く。
2回目+3回目に関してはあらためていつかの機会に。

3回目のファックスサンガからちょうど10年あまりが過ぎ去った2011年秋。
その時はその夏にお江戸からの再スタートのために福岡のManaBurgersを一端棚上げし、組み直しを模索していた最中。
個人的には福岡唐人町の奇怪ハウス(妙な作りの一軒家でした)から玄界灘の海際、福津宮司浜に。まさしくビーチフロント砂浜に建っていたウォータースポーツを楽しむ基地の一角に建つ小屋に住み始めたばかりだった。

thumb5.jpg

ここからの景色は素晴らしかった。人もほとんど居らず、目の前は砂浜と海しかなく。まさしくハート形をした相島(あいのしま。福岡来たばかりにここに連れて行ってもらったのも何かのご縁)が浮かび、水平線に沈むサンセットが手の届くところで見える。そして波の音、風の音がBGM。

福岡市内に行くこともなく、久方、そんなに飲むわけではないけど酒が旨いなぁ〜とハマり始めていた時期。また随分と長時間寝ていた記憶がある。
やっていたことが無くなり、ポッカリとする時期に酒と惰眠はよく似合う 笑。

そんな日々に、突然電話が…僧侶夫妻からだった。
驚きだった!!!
つづく…

*サットサンガ
サンスクリット語で、サット(真理、純粋なもの)のサンガ(集まり、同席)。
善き人々との交わり、霊的に高尚な方々との仕事を意味し、そして、究極的には、神との交わり、神との合一を意味する。

*イヤイライケレ
アイヌ語でありがとうの意。

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■「人間の住む静かなる大地』へ〜序章その3

「元気ですか?」

久しぶりのAさんの声。
彼女は僧侶の奥様だ。気っぷがよく、優しい、まさに姉御といったほうがピッタリとくるカッコイイ“男前”の女性だ。
料理の腕も凄腕で、1994年から自分もアンナさんも自然に無理なく菜食に、そう本当に突然シフトしてしまったのはきっとAさんのゴハンのマナの力が関係していると確信している。マナの力は人知を超えている。

「エッ?!!!、Aさんですか?」
「ホント!マジですか???Aさんですか?」

それから約1年ちょい、途中何回かの中断はあったが、サットサンガが再び始まった。

僧侶はH和尚という。
聖なるものを求め、命を張ることに躊躇しない力強さを持つ、男らしくおしゃれな方だ。
H和尚は事業で成功していたが、常識では考えられない非常識…ではなく超常識ともいってもよいひっくりかえるような体験をし、何もかも捨て30代半ばに僧侶の道へ。
寺も持たず、僧侶というよりは*聖(ひじり)といったほうが似合う。現代では希有な本物の僧侶の一人だと思う。
また自分が望んだわけではないのに、トンデモナイ能力を授かっている。それはご先祖が古くから代々医術の道で時の権力者や実力者、たとえば徳川家などの心身の健康を守っていたこととも関係すると思われる。シャーマン一族、血の成せる技。
もちろん血を超えた魂の旅の結果でもあろう。

最初は電話だった。電話でのサンガは初めてだった。そして、メールでのやり取り。そして20年近く振りの再会。
またしてもいろんなことが起こった…エッ!というようなアドバイスや意外な繋がりからの気づきが。

そんなサンガの中で20年前の何気ないアイヌとの関係の話が…今回はなんと!スポットがあたり再び。その件は下記のように簡単にブログにアップしている。

■ROOTS1〜AINU

「あることで」と書かれているが、実はサンガの中で知ったあらたな事実、一族の歴史だった。それはどちらかというと“負”の歴史か?
このブログのあとに豊橋を訪ね、叔父からあらためていくつかの知らなかった事を確認した。母は何も知らず、叔父が生きていてよかった。

父方に比べ母方は真面目な方が多く、血の問題があるとは思ってもいなかった。
でも一族から世代ごとに必ず自殺者が数名出るということをこれをきっかけにあらためて知る。自分の代でも、母の代でも、おじいちゃんの代でも…関係のないと思われていたパズルが何枚も繋がり、個々の問題だと思っていたものが一族の背負っている問題だと知った瞬間だった。

この事実を受け入れ、その原因を辿り、なにがあったのか知りたい。そして願わくばその問題を解決したいと思った。それがこの事を知り始めてしまった自分の役目だと思う。また目に見えない存在たちから自分に託された課題だとも思っている。

またその探求は一族を超え、個々の民族の歴史、母国日本の成り立ちを知ることにもなると思う。歴史には必ず陽のあたらない影の部分があり、その影の部分を知ること。また犠牲者ともいえる人々の思いを汲み、慰め、謝り、その教訓を活かすことが真の平和に繋がると信じているから。

こんなコトバが…
「過ちて改めざる 是を過ちと謂う」〜論語からの引用。
過ちに気付いていながら、それを正さぬ事が過ちであるという意味を持つ。
つづく…

*聖(ひじり)
元来「日知り」を意味し、太陽の司祭者・呪術者を指したとされる。仏教伝来後は聖の字があてられ、学徳の高い僧を聖と呼ぶようになった。

平安時代中期に至り末法思想が広まると、それに伴って浄土教信仰を庶民に普及する僧たちが現れた。彼らは念仏聖と呼ばれ、寺院に定住せず深山の草庵に住んだり遍歴しながら修行する半僧半俗の存在だった。平安中期の有名な聖に「市聖(いちのひじり)」と呼ばれた空也がいる。

聖は、寺院において、学徒(学僧)に相対し、寺院経済を支える禅徒の立場にあった。聖たちは、寺院から離れて別所と呼ばれる場所に集住し、活動の拠点としていた。名高い別所の一つが高野山にある高野別所であり、ここに住む念仏聖を高野聖と呼んだ。

平安後期の源空も延暦寺黒谷別所の念仏聖であり、その弟子の親鸞と併せて、聖人(しょうにん)と呼ばれた。鎌倉時代中期の一遍は諸国を遊行しながら念仏を広め、「捨聖(すてひじり)」と呼ばれた。
〜wikipediaより

自分にとっては文字そのものの意味。
聖(せい)なる人。聖を求める人。
特定の宗教に捕われるのではなく、この世限りのはかない地位や名誉ではなく一心不乱に永遠の真理を求める人。
強く優しい人間らしい人。

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■「人間の住む静かなる大地』へ〜序章その4

“レラさんは、虐殺された者や流刑によって死んでいった者たちのラマッ(たま=魂)を弔う。
死者は無視されたり、忘れ去られるのを悲しみ、生者へちょっかいを出す。
自分たちが大切に扱われたと知ると、安心してカムイモシリ(神の国)へ帰っていく。”
〜AKIRA New天の邪鬼日記より

例によってサットサンガはこの冬に突然終わった…またしても悲しいお別れだった。

前回に再掲したプログ(一昨年9月)を見て昨年5月末に北海道の友人から久しぶりにメールをもらっていた。
彼女とはアンマの会場で出合い、7年前の北海道東北の旅(ニセコを中心に道南を廻り東北太平洋側を南下する旅)でお世話になったマリカさんだ。
そのメールには近況とともにアイヌの血が流れてる自分に対するメッセージが書かれていた。

途中から引用
「昨年末(2012年)、なぜかネット開通しまして、先日トラさんのサイトをふと見たら、トラさんにアイヌ民族の血が流れているとか!
おまけにマレウレウの(メンバーのルミちゃんとは古い知り合い)映像まで〜!
ビックリしましたよ。
北海道にもご縁があったんですね。」

返信途中より引用
「そうなんですよ、自分は寒いの苦手だし、てっきり南方系かと思ってたらお袋の方がアイヌの血が強いみたい(お袋は知らなかったようです)で調べ始めたりしています。
お袋は愛知県豊橋なのですが俺からみたらひいおじいちゃんの一族がアイヌとのこと。
言われてみれば、顔つきが~っぽいような、南国=沖縄と北国=北海道のネイティブは似てるし。
一族は福井という姓なのですが、東北&北海道から北陸の福井経由で愛知方面、考えられるかも知れません。
先日豊橋に行き、戸籍等追っかけてみたのですが…まだよくわかりません。

あらためて調べるとなにか悪い意味でカルマ的に引っかかるものもあり~なにがあったのか判りませんが、一族の因縁を辿り、この機会にリセット浄化出来ればありがたいです。

そんなタイミングで姪っ子が一族初で北海道の大学に入りました。
そんな縁もあったりして、不思議。

そんなんで、OKIさん流れで個人的には知らないのですがマレウレウの存在も知った次第です。
沖縄の音楽は前にハマりましたが、アイヌミュージックもこの機会に。」

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そして1年後、2014年5月アマチダルシャン東京会場。

「トラさん」
振り返るとマリカさんが。

「久しぶり! ねぇねぇ、その後アイヌの件どうなった?何か判った?」

「どうも!元気ですか?いや〜その〜特に進展はなく…」

「そうなんだぁ。あのね〜」
というわけで時間をいただきお茶を飲みながらあらためて話をさせてもらうことに。

「アイヌの件では紹介したい人がいるのよ。アイヌのシャーマンの方で。アイヌの聖地二風谷村に住んでいて。その人と縁が出来たならきっと何かに気づき、力になってくれると思うわよ。また定期的に供養の儀式も行っているし。」

「アンマの会場に彼女と親しい人がいるから、まずは彼を…」
といった瞬間にその当人が自分たちのテーブルの横を通って行った。
マリカさんはビックリし

「佐藤君!紹介しようと思った彼が今通った!」
二人で彼を追いかけ、あらためて紹介してもらった。また彼にそのシャーマン、アシリレラさんを紹介してもらうことに。アシリレラとはアイヌ語で“新しい風”という意味だそうだ。

photo10.jpg

「レラさんは1日と15日にカムイノミ=祈りと供養の儀式をしています。その時に来たらいいんじゃないですかね?」
佐藤君はそう話してくれた。

アンマは昔一度だけ北海道を訪ねたことがある。聖者がある場所を訪ねるということは大きな意味を持つ。

そして数年前のアマチの会場にアイヌの方が多数参加してたが、その時に来ていた方達がレラさんご一行だったとあらためて知った。アンマが日本の先住民の方に会いたいと前から言っていたそうだ。

そしてレラさんは多数の孤児を引き取り育ててきた肝っ玉かあさんだとも知った。
またアイヌモシリ一万年祭の発起人でもあった。
シャーマンでもあるが社会活動家・民族運動家でもあったのだった。

アンマのダルシャン後、このご縁をきっかけに無理をしてでもアイヌモシリに行こうと思った。マリカさん+佐藤くんが骨折ってくれた。

善は急げで7月1日に合わせて行けたらと組み立てを。
それだったらと、マリカさんが数日前新月の日から旭川に来てマレウレル始めアイヌの方たちとの出会いをアレンジしてくれた。
飛行機はマイレージで、宿は泊めてもらって…あまり費用がかからない段取りが有り難く進んでいた。

そして、すべてが決まったあと…
7月1日はレラさんが二風谷村に不在で奄美大島に行くことになっていると後から知った。
ドヒャ〜
佐藤君が申し訳なさそうに電話をくれた。

いや〜どうしよう???
単なる不注意なのだが、この手のスピリチュアルな旅にはよくあるドヒャ〜でもある。
ここで挫けてはならぬ、いじけても仕様が無い。
こうなったら7月はもう一回行くとするか、この際!
すみませんと天に謝った。

同じパターンでアレンジを試みた。
御陰様で費用もあまりかからず行けることに。

再び、佐藤君から電話が。
こちらからの都合なので掛け直させていただいたら、電話口にレラさんが!
佐藤君が気遣ってくれてレラさんと話をする機会を事前に作ってくれていたんだ。

自分はアイヌの血が流れていること、なにか滞りがあることを話し、だから訪ねたい旨伝えた。

レラさんは笑いながら
「多くの日本人にはアイヌの血が流れているのよ。
またなんだか朝鮮の方が話したがってるわよ。よく聴き取れないけど…」
電話じゃ話し足りなくなりそうな展開に。
だから
「その辺りも踏まえ来月14日からお願いします。」

「だったらそのタイミングでアイヌの聖地や戦地も廻りましょう」
と。

「私、6月の夏至に山中湖に行くんだけど、伊豆からなら来れるんじゃない?もし良かったら。」
と誘ってもらった。

ネットで調べた。
その日、山中湖では「富士いのりのセレモニー2014 in 山中湖 - 祈りの和」という集いが。

そうか、挨拶方々、だったらそこから訪ねてみようと思った。
久しぶりに…思い腰が上がり、出かけようと思ったんだ。
つづく…

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■富士いのりのセレモニー2014 in 山中湖 - 祈りの和

6月21日、夏至、山中湖湖畔。

前日夜に伊豆から富士山の反対側、山中湖に向かった。深夜遅くに到着。
真っ暗。ちょい肌寒い。天気はどうか?平気かな?

早朝4時から朝の祈りの儀式があるので、たぶん、ここでやるのかなぁ?という場所に車を泊め、仮眠を取った。

そして2〜3時間経ち、携帯の目覚ましが鳴った。
外はすでに明るくなり始めていた。雨は?…大丈夫そうだ。
湖畔を見ると人影がちらほらと…集まり始めていた。
ここでよかったんだ。

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…ここまで書いて発熱してしまっていた。
アイヌモシリの旅から戻ってきてから体調が今ひとつで、結果。
…3日間、床に。

いつものパターンともいえる…この手の旅をするとそうなることが多い。多分、霊的なインパクトと自分の未熟さとの結果、それがそうなのか?どうなのか?…まさしく未熟な自分はわかってるわけではないのだが…

寝ている間、たくさんの夢を見た。そして、「祈り」について考えていたような気がする。

「祈り」。
レラさんに声をかけてもらって参加したイベントの主旨だ。

「祈り」。
物質主義がここまで来た時代。たぶん今のような時代には吹けば飛ぶようなコトバ。
でも永遠に続くと思われる物質的な繁栄はじつは儚い。まさしくこの次元の人が観ている夢や幻でしかない。
なんたって物質はあの世に持って行くことは出来ないものだからだ。それは喩えは悪いけど“死体”みたいなものだ。“魂”はあの世に移るが“肉体”はこの次元に残る。“お金”も“土地”も“家”だって。もちろんこの地球(本来は水球といったほうがさらに良さそうだが、この話はまた)のこの次元での生活には必要なものばかりだが。

「祈り」。
“永遠(とわ)”に続くものは“生命(いのち)”だけだ。

『衷心からの祈りは、その祈りそのものの力によって波動を高め、より高度なエネルギーを活用することが出来るようになります。祈るという行為そのものが魂を開かせるのです。もちろん全身全霊をこめた祈りのことです。

お決まりの文句の繰り返しでは祈りとは言えません。真実の祈りは偉大なる霊的行為です。祈りはあくまでも手段であって目的ではない――これが最も正しい表現でしょう。

祈りの言葉はたった一言しかありません。「何とぞ私を人のために役立てる方法を教え給え」――これです。「大霊のため、そして大霊の子等のために一身を捧げたい」――この願いより崇高なもの、これ以上の愛、これに勝る宗教、これより深い哲学はありません。

どのような形でもよろしい。大霊の摂理の霊的な意味を教えてあげることでも、飢えに苦しむ人に食べるものを与えてあげることでも、あるいは暗い心を明るく晴らしてあげることでもよろしい。人のために役立ちさえすれば、形式はどうでもいいのです。』
*シルバーバーチの霊訓より

そこには参加者も含め真摯なPrayerとそれに賛同したPlayerが集まっていた。
皆が主役ともいえる集いだった。

案外斜に構えやすい自分は転校生のように最初は居心地が悪かった。
お門違いなところに来っちゃたかとおもったけど、自分の傲慢さに気付き、あらためて反省とお詫び。そして、感謝と…祈り。まだまだ我の強い祈りしか出来ない自分が情けない…けど。

そんなきっかけを与えてくれたのは音楽、岡野さん&マサザネさんやAKIRAさん、そして、“男前”な晴子さん。あと、国友さんたちのダンス。動的で力強かった。
他にも奏でたり唄ったり舞ったりした方々は居た。そちらは静や和という感じで富士山の目の前、美しく幻想的だった。
動と静の輝度の差がよかった。
やっぱ、音楽やダンスはコトバやアタマを超えて、ダイレクトに宇宙、生命力を感じさせてくれる。

レラさんにはそんな中でご挨拶差し上げたんだ。
7月14日からよろしくお願いしますと。
会話は2度目、会ったのは初めてだったけど、なんともファンキーな雰囲気をもつ肝っ玉かあさんだった。

PS
さて、ここからは参加者の方たちの書かれたブログを転載しよう。

●ミュージシャン 岡野弘幹

●ダンサー 國友悠一朗

●カメラマン チャマ

●アーティスト AKIRA

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■アイヌモシリ 血の巻 東川

記録は再びアイヌモシリの旅に。
前回は“地の巻”を、そして今回は“血の巻”を。
マリカさんたちがアレンジしてくれた旭川のアイヌの方たちとの交歓を中心に自然と温泉♨三昧。

伊豆から初めての旭川へ向かう。
夜の7時近くに着いたんだ。
空港にはマリカさんとこれからお世話になる初めましての由美ちゃんと息子の天愛(あまな)が迎えに来てくれていた。由美ちゃんの旦那さんの秀和さんはネイチャーツアーのガイドでこの日はニセコに行っていた。

彼女たちが住むエリアは旭川の隣、東川町といった。
7年前に行ったニセコのあたりは北国と南の島の違いは大いにあるが、なんだかビッグアイランドの南東側のバイブスと似ていたけど、ここはイエローストーンのあるモンタナやワイオミングに似ていた。雰囲気も町並みも。外国に来たみたいだった。

大雪山の麓、なんでその名前がこんなにも頭に刻まれているのかわからないけど、その町はその麓にあり、また、その山々が自分を迎えてくれていた。

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彼女たちの家は旦那さんと二人で建てた家だそうだ。木で出来ており、土地には泉が湧き、畑が。また居間にはハンモックがぶら下がり、トイレは*バイオトイレだった。

美味しくてヘルシーなゴハンをいただいた。
そして全て御任せだったんだけど着いたこの夜、明日の予定を伺ったんだ。

明日(6/29)は旭川にある*川村カ子トアイヌ記念館に行くそうだ。

現在の館長は 川村兼一(シンリツ・エオリパック・アイヌ)さんで奥様がマレウレウのメンバーの一人Hisaeさん。

そこにマレウレウの他の二人のメンバーRekpoさんとMayunkikiさんも来て、また他のアイヌの女性たちも集まり、まずはトゥレプと呼ばれているおおばゆりの球根を採りに行くとのこと。季節的に今がそれを採る時期であり、またその体験をしたことがない方もいるそうでその企画が持ち上がったらしく。

トゥレプの鱗茎はデンプンを含み、食用に利用される。アイヌ民族が用いる植物質の食品の中では穀物以上に重要な位置を占めていたそうだ。

なかなか皆が集い、そういう企画が行われることは珍しいらしく、そんなタイミングにお邪魔させてもらったわけだ。有り難い〜マリカさん+ゆみちゃん、イヤイライケレ。

そして翌日、記念館であらためて、「点」が「線」になるような感覚を抱いたんだ。
つづく…

*バイオトイレ
英語ではComposting toiletというのが一般的である。

便槽の中にオガクズなどを詰め込んであり、排泄された糞尿を、オガクズなどとともに攪拌して好気性微生物を活発化させ、分解・堆肥化させる。大きくわけて電気ヒーターなどにより高温加熱する方式と加熱しない方式に分類できる。また、糞尿をすべて一緒に処理する方式と、固形分と尿分を分けて処理する方式に分類できる。糞尿に含まれる水分は、蒸発し放出させるか、または別にわけて処理する。残った有機物をオガクズの中に住み込んでいる好気性のバクテリアが分解する。最終的には、土化したオガクズ、または再利用可能な堆肥を生成する。

水洗式でないために、どんな場所にでも設置できるという点である。(加熱式の場合は電源が必要。)また、汲取り作業を必要としないため、汲取り車両の立ち入れない場所への設置も可能。排泄物を垂れ流す事も無いため、近年問題になっている登山愛好者の排泄物問題解決の糸口としても注目されている。実際に山小屋などにバイオトイレの設置、稼働させている場所もあり、環境負荷の軽減に効果を発揮している。 間接的ではあるが、汲取り費用が不要になり、恒常的なランニングコストの低減も期待できる。
〜wikipediaより

*川村カ子トアイヌ記念館
川村カ子トアイヌ記念館(かわむらかねとあいぬきねんかん)は、北海道旭川市北門町11にある、アイヌ民族文化の保護・伝承を目的として設立された私設の資料館として、川村カ子トの父の川村イタキシロマにより、1916年に開館した。

アイヌ文化の資料館としては、日本最古のものである。館内にはアイヌ民族が使った生活用具や衣装など、二代目館長の川村カ子トが多数収集したのも含め、約500点が展示されている。また、独特の文様が特徴的なアイヌ衣装の無料貸出しや、民族楽器ムックリの演奏や古式舞踊なども見ることができる。
また、川村カ子トは鉄道施設の測量技手として名を馳せていたため、鉄道資料も数多く展示されている。
2006年には敷地内にアイヌの伝統家屋であるチセを忠実に再現。記念館と同様に内部を見学できる。
〜wikipediaより

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■アイヌモシリ 血の巻 旭川

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この書体。アイヌの文様。ポリネシアンはじめとする*トライバルといわれる文様と同じような感じだ。カッコイイと思う。
TATOO彫るならこの手のデザインで、とは思う。彫りたいとは今は思わないけど、目に見えない自分自身の魂=スピリットがカタチになる、そんな出会いがあるならありだ。単なるファッションなら興味はない。

トゥレプと呼ばれているおおばゆり

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これが雄〜花を咲かす。

そしてこれが雌。
こちらの根を掘る。

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さてこの“血の巻”ついてはお世話になったマリカさんがブログにアップしてくれている。それをまんまお伝えしたい。自分が纏めておきたいことがここにすべてあるから。
アイヌモシリ魂の旅
アイヌモシリ魂の旅 その3トゥレップ

さらに自分が20年近く個人的に行ってきた大東亜太平洋戦争の慰霊につながる訪問も。
名前だけなんでか知っていた「加藤隼戦闘隊」加藤建夫さんは旭川の出身ということでここに記念碑が。
アイヌモシリ魂の旅 その4 祈り

国と国との戦争で、民族と民族との争いで、皆さまの苦しみや痛み、恐怖や怒り…
亡くなったすべての方の魂が安らかでありますように。
平和の礎になっていただいた方たちに感謝とともに合掌。

NO WAR 勿論

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■アイヌモシリ 血の巻 川村カ子ト

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復元されたチセ(伝統的な家屋)の中。
光がなんとも教会のような感じで、厳粛で静かな空間だった。入ったときになんでか鳥肌がたったんだ。火と土の香りが充満していた。

…そして今までのROOTSの「点」が何となく浮かぶ。

女性たちがトィレプを洗い、その鱗茎をマレウレルの3人が旋律を口ずさみながらリズムよく臼で搗いたりしている時、

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記念館を拝見させてもらっていた。

アイヌの方たちの文化や生活様式、またそれを産み出したアイヌモシリの自然、カムイの存在。それらをはじめて目の前で実感していた。さまざまな道具や風習が展示されていた。

そしてそれとともに川村兼一さんのお父さん川村カ子ト(かねと)さんのことを知ったんだ。入り口に貼ってあった写真、そしてカ子トさんをモデルにした劇のポスターが最初に目に飛び込んできた。そうか、彼は近代アイヌの英雄の一人なんだ。

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1893年(明治26年)、旭川永山町(現旭川市永山)キンクシベツに生まれる。父は上川アイヌの長、7代目イタキシロマ。母はアベナンカ。小学校卒業後、鉄道人夫として測量隊の手伝いをするなかで測量を学び、やがて測量技手試験に合格し、鉄道員札幌講習所を卒業後、北海道各地の線路工事の測量に携わる。1914年(大正3年)に陸軍入隊、2年後に除隊。

三信鉄道に請われ、難しすぎて引き受け手の無かった天竜峡~三河川合間の測量をアイヌ測量隊をひきいて敢行。現場監督も務めて難工事を完成させた。なお、「アイヌに使われるのはもうごめん」という理由で、土木作業員より殺されかけたこともあった。

三信鉄道開通後は、樺太や朝鮮半島での測量にも従事するが、1944年(昭和19年)に引き揚げる。戦後は、視力の衰えで測量の仕事を離れ、川村カ子トアイヌ記念館の館長を務めた。1960年(昭和35年)4月には、三信鉄道における貢献を縁として、信州に招かれている。
1977年(昭和52年)1月、死去。83歳。
〜wikipediaより

記念館の一部はカ子トさんの測量技師としての功績も飾られていた。その中に上記の三信鉄道=現 JR飯田線の当時のプレート等も…

…目を見張った、そこに「豊橋行き」というものが何枚か。鉄道マニアではないので飯田線が愛知県豊橋市と長野県上伊那郡辰野町を結んでいる線路だと初めて知った。

三河川合~天竜峡間は三信鉄道によって開通した。建設は天竜峡側、三河川合側の双方から進められ、最後の大嵐~小和田間開業でこの区間が全通したのは1937年(昭和12年)である。急峻な山岳地帯を通過するルートで、非常な難工事であったが、アイヌ出身の測量士で山地での測量技術に長けた川村カ子ト等が招聘されて建設にあたり、ようやく完成した。これをもって、豊川鉄道の最初の区間が開業してから40年後現在の飯田線である吉田(現在の豊橋)~辰野間は全通を見たのである。
〜wikipediaより

アイヌのひいおじいちゃんは豊橋に最終的に住んでいた。ただし世代的にはカ子トさんのお父さん7代目イタキシロマさんなどと同じぐらいの世代ではないかと思う。よって、カ子トさんがこの線を完成される上で活躍していた昭和初期は時間軸がズレる。
でもこんな奇遇が時空を超えたパズルだったり、と思ったりするんだ。

さらに飯田線を調べてみる。

三河川合駅 - 天竜峡駅間
三河川合駅 - 天竜峡駅間は三信鉄道によって開通した。鉄道会社が設立されたのは、鉄道が投機の対象となっていた1927年であり、路線測量はその翌年4月から開始された。測量には、アイヌ民族の測量士で山地での測量技術に長けた川村カ子トらが高給で招聘されて従事した。

ところが、1929年には昭和恐慌が起こり、経済情勢が急変。だが、筆頭株主が東邦電力と天竜川電力という電力会社で、濃くなる戦雲の中、天竜川に国内エネルギー資源開発をもくろんでいた両社は、電源開発の資材や労働力運搬のため鉄道を使用しようとして、1929年8月の天竜峡駅 - 門島駅間の着工後も工事は放棄されることなく、1930年には南から三河川合駅 - 出馬駅間も着工した。

しかし、中央構造線のもろい地層と、天竜川峡谷の断崖絶壁に阻まれて工事は難航。コスト削減のため、実際の土木工事は、ほとんど朝鮮半島から来た人々が担った。それでも会社の資金繰りは悪く、朝鮮人の労働者は労働争議に訴えてようやく不払いの賃金を一部だけ獲得するというありさまであり、もろい地層の工事にもかかわらず保安設備は劣悪で犠牲者が続出、恐れをなした朝鮮人労働者が現場から逃げ出し、近隣の農村に駆け込む事態も起こった。

1931年からとうとう工事は中断したが、三菱銀行などから多額の融資が得られ、この工事に生命をかけた飛島組の熊谷三太郎の工費を自分で立て替える熱意とあいまって、工事は再開された。このような紆余曲折と日本鉄道史に残る凄惨な工事の末、最後の大嵐駅 - 小和田駅間の開業でこの区間が全通したのは1937年である(当初より電化)。これをもって、豊川鉄道の最初の区間が開業してから40年後、現在の飯田線である吉田駅(現在の豊橋駅) - 辰野駅間は全通、直通電車が走り始めた。なお、この難工事成功の実績により、熊谷三太郎は自立に成功、戦後に*熊谷組として成長する地歩を築いた。
〜wikipediaより

…今までのROOTSの「点」が何となく浮かぶ。と先ほど書いた。

それは実は「アイヌ」「女性」「鉄道」「重労働」…といった単語だった。ひいおじいちゃんのこと調べ始めた時に「鉄道」に関係したりして本州に来たのかなぁと感じたりしていた。アイヌの人々が明治以降一族まとめてそんなワークをしながら移動定住してたりということもあったと読んだ本に書かれていたからだ。そのことでの一族からの実証はない、が。

さらにレラさんが前に言っていた「朝鮮の人」といったキーワードもここには書かれている。なんだかひとつの物語が浮かんでくる。たとえそれがまんま、そのまま自分の一族の物語ではないにしろ、紡がれた点と点が一つの線に繋がる歴史の物語が浮かんでくる…すべては???

だけど、炭坑(エネルギー)とか鉄道(流通)は国策ともいってもよいステージだ。覇道的な西洋列国に太刀打ちするために明治以降の富国強兵を目指した国づくりのシステムを進めるにあたって、そりゃ、超悪もいただろうし酷い話や悲しい出来事はたくさんあっただろう。もちろん、義人もいて素晴らしい話も嬉しい出来事もあったはずだ。

相対的なこの次元、それぞれの立場の言い分や真実がある。
過去を消すことは出来ない、でも学ぶことが出来る。
本日からの旅がさらに語ってくれたら、新しいパズルが現れてくれたら有り難い。

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■アイヌモシリ 血の巻 二風谷へ

スパーフルムーンから2日後、14日月曜日に2週間振りという早いスパンスでアイヌモシリへ。今回の旅の目的は先祖供養=アイヌ供養の儀式の参加だ。初めての体験、初めての場所。

帯広からハイブリットの車を今回もゲット。ナンバーに88が付いていたので単純に嬉しかった。なぜって、この数字は自分にとっては「はは」「ババ」そして〜無限大が二つ。
でも危なかった、というのは車手配を間違えたようで、自分が乗るはずのこの車を別の方が乗って出発してしまうところだったんだ…危ういところで、結果、オーライ。

生活も旅も人生にはいろんなトラブルが付きもの。トラブル起きたときは己の不徳の致すところ、それを回避出来たのは有り難いお守り、って思えるようになったのが凸凹経験による進歩のひとつだ。

帯広から二部谷村までは150キロ弱。アイヌモシリは普通道でも信号があまりなく、結構飛ばして皆走っている〜2時間、かからないぐらいかなと思い、また、ローカルな景色も楽しみたいのでそういうときは毎度の選択、下道で。

帯広から千年の森がある清水町まで走り、真っすぐ行くと富良野方面なんだ。でも今回はそこから左折。そして日勝峠(にっしょうとうげ)を越える。

日勝峠とは、北海道沙流郡日高町と上川郡清水町の間にある峠で、日高山脈北部にあり、標高1,023m。日高国と十勝国との間にあることから命名。峠の東側は十勝川水系、西側は沙流川水系だ。日高山脈の分水界であるが、両水系とも水は太平洋に注ぐ。
その道は道央と道東を結ぶメインルートである国道274号の途中に位置する。

北海道内での日本海側・太平洋側の気候区分線に位置し、季節問わず雨雲の発生箇所となる。夏季は濃霧、冬季間は路面凍結や吹雪による視界不良と、一年を通して悪条件となる場合が多く、重大事故の発生も多いそうだ。1,000m級の標高とはいえ森林限界に達し、気象条件としては長野・群馬県境の渋峠(標高2,172m)クラスに匹敵するうえに、多くの大型車が昼夜を問わず通行する産業道路であるため圧雪アイスバーンが形成されやすい…路面状況も含めると国内でもトップクラスの厳しい峠となっている。
〜wikipediaより抜粋

でも御陰様で雪の季節ではなく、また有り難いことに霧もほとんどなく、清水側にある頂上付近から十勝平野の絶景な眺望が楽しめた。それは大自然まんまではなく、人が作った緑のでっかいパッチワークだったけど、それはそれは雄大でとても美しいアートに見えたんだ。

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「開拓」、別の見方をしたら自然の破壊にも繋がるけど、でもそこに多くの時間と労力をかけた激しい労作には頭が下がる。精神的にはとても未熟で行き過ぎの多い我々人類だが、自然環境や生命の環とのバランスを踏まえた「開拓」は許されると思うし、また、神から与えられた人類の使命だとは思う。「人の手」は「神の手」になりうる〜「万物の霊長」という役割を全う出来たらこの「水と森の惑星」はますます素敵になる〜そんなこと、思ったんだ。

今回、ラジオを聴きながらドライブしていた。ローカルの感じを楽しみたかったからだ。でも、結果、気に入って聴いていたのはNHK。つのだ☆ひろさんがナビする昭和歌謡の番組。その日はフランスをテーマにした歌謡曲の特集で、高度成長時代の60年代から70年代初頭の楽曲はなんだかお洒落で雰囲気があってよかった。

TVっ子映画っ子だった自分は物心つくころからたくさんの歌謡曲を聴いて育ったし、レコード会社で歌謡曲の仕事をしていたので自分にとってそのジャンルは「歌は世につれ、世は歌につれ」を代表するものだ。特に昔のものはタイムトラベルが出来るし、また今聴くと新たな発見もあり楽しい。

日高町で明日の儀式のお供えものや自分の食べる物を購入したりしていよいよ二風谷が近くなってきた。アイヌ(世界の多くの先住民族も同じだ)にとって森や川はとても大切なカムイの宿る場所だが、そのひとつ、沙流川の流れと平行して道が走る。

先ほどの番組は終わり、そのあとのものは世界のさまざまなワールドミュージックを紹介する番組だった。いろんな国のプリミティブな音楽が流れていたんだ…
そして…この辺りを走りっていたらいきなりアイヌの楽曲が2曲紹介された。グッドタイミング。

そしてその2曲のあとはハワイアンスラッキーギターが2曲…こちらは大好きなミュージシャンの一人、ギャビー・パヒヌイがオンエアー。ハワイご無沙汰だし、彼の音、久しぶりに聴いたけど、やっぱ、良い感じ。

ハワイアンもアイヌも八百万自然を神と見る視点は同じだ。

この偶然の選曲の流れがなんだか特別な歓迎をしてくれているように思え、有り難かった…そして、二風谷に着いたんだ。

待ち合せていた佐藤君を待つ間、車を止め、二風谷湖に向かい、サンセット(下記写真の②の歴史館の辺りから)を仰いだんだ…

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PS
その時の模様は先ほど、写真をアップした。

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■Darshan: The Embrace by Jan Kounen

ヤン・クーネン(Jan Kounen, 1964年5月2日 - )はフランスで活躍する映画監督、脚本家、映画プロデューサー。

オランダ・ユトレヒト出身。代表作は『ドーベルマン』。

学生時は映画やアニメーションを専攻。卒業後、ErasureやElmer Food Beatのミュージック・ビデオを手がけ、短編映画を発表する。1997年には自身の初長編映画監督作品『ドーベルマン』を公開した。日本のアニメーションと塚本晋也のファンであることを公言している。

彼が2005年に発表した「Darshan: The Embrace」がYouTubeにアップされていた。
このドキュメントはインドのスピリチュアリティーと俺が魂の母と慕っている南インドの聖母アマチにスポットをあてているものだ。この年のカンヌ映画祭ドキュメンタリー部門でもノミネート上映された。
日本でも公開されそうだったが結果、未公開のもの。

流石、ミュージック・ビデオやドーベルマン等を撮った監督ならではの映像美。カメラアングルや編集も素晴らしい。

アマチの生まれ故郷のケララのアムリタプリーの景色はたまらない。アラビア海に面した名もない漁村。一面のヤシ。個人的にも大好きな場所なんだ。

また、映画の最後のほうに流れるスタジアムの映像は今から10数年前のアマチの50才の生誕祭の模様。俺も参加させてもらった、凄かった、素晴らしかった、懐かしい。

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(その時の撮影風景の模様)

映像でも少し流れるがとてつもない数の来訪者のために人力フル回転工房ともいえる巨大なキッチンでごはんを作り続け、出し続けた。その末端で自分も野菜を切ったり、道具を洗ったりさせてもらっていたんだ、食をリスペクトするニッポン代表の一人として。
驚いたことにごはんが足りなくなることもなく、また、余ることもなかった。奇蹟。

世界中から多くの方が集い、さまざまなお国自慢の出し物が花を添えた。
また世界中の皆が自分のエリアの水を持って来て、それを一つに混ぜ、アマチが祈ったんだ。皆と一緒に祈ったんだ…

誕生日なのにアマチはいつものように来場した全ての方を抱擁した。その時間はまるまる一昼夜を超え、翌日もぶっ続けで続いた。最後の一人が終わった時にはアマチのサリーは何万人もの人の汗と油で真っ黒だった…よろよろと立ちあがったアマチを見て、鳥肌が立ち、感動し、涙が流れたんだ、カッコよくて、有り難くて…

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(その時、ステージから降りて来たアマチを撮影)

それは国も人種も宗教も主義主張も超えた、らぶ&ぴーすなスピリチュアルオリンピックだったんだ。

欧米諸国のセレブやアーティストはアマチを慕っている方が多い。
1時間半ぐらいの作品だが時間のある方はぜひ!

PS
オープニングで流れる古い映像はその昔、アマチのもとに訪れたハンセン病患者であるダッタンとの交流のもの。この物語にも驚きとともに頭が垂れる。

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■ババジ

なんだか昨日からババジが懐かしく…彼について少しあらためて書き残しておきます。

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ヘラカン ババジ(Haidakhan Babaji)は1970年にインドのヘラカン近郊の洞窟で、自らの成人としての肉体をエーテル領域から具現化させました。つまり、肉体の母と父はいないということです〜それだけでも現代の常識からはぶっ飛んでいますねぇ〜

ダルシャン(謁見)を受けたことのあるサイババやアマチには肉体の母と父はいます。ババジの場合、活動期間が10数年と短く、このような顕現の仕方にも意味があったのでしょう〜大河の一滴でしかない自分にとって大海原大宇宙ともいえる彼らの存在の大きさ深さは理解を超えています。

顕現後、その洞窟に45日間静止した状態で飲食も睡眠もとらず(必要がない模様)に瞑想を行ないました。
20年ほどいつも観ているアマチも同じような状態であることを確信しています。進化した生命=根源の生命の真の姿を垣間見せていただいています。LifeForce=魂はスゲェ〜もちろん、その結果存在しているけど、この次元で暮らす俺たちには無理ですが…おいしくてヘルシーなゴハン頂いて、ゆっくりぐっすり睡眠楽しみましょう。

彼はヘラカンにある自らの直近の過去世でもっていたアシュラムを継ぎ、そのアシュラムに世界中から人々が訪れました。そして1984年に肉体を離れました。

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当時、19歳のアップルコンピューターのスティブ ジョブスがババジの元を訪れたと又聞きしましたが事実かどうかは知りません。が、いい話だと思っています。ババジの初期の写真は白黒多く、なんともクールでシャンティーな表情が現在のMacのデザインとカラーに通じてるなんて思うのは深読みし過ぎ???


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この写真を観てからなんでかやられちゃっていつか訪ねたいと思ってたんだ〜それが1996年に実現。

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■来年2015年=徳川家康公顕彰四百年

先日、所用があり静岡市を久しぶりに訪ねた。

その足で詣でたいところがあり、ここを訪ねた、久能山東照宮。

20年ほど前、表と裏がひっくり返るリアルで不思議な体験をしていた頃。
歴史上、興味のある人物は沢山いるがその内の一人家康公にとても強く惹かれるご縁をいただいた。
またもう一人、彼を支えていた天海和尚とともに。この方、スゲェ〜ですよ。

もちろん彼ら二人だけの手柄ではないけれど、戦国時代という動乱の組み直しを経て江戸時代という世界史的にも希有、粋でエコな平和の時代=パックス・トクガワーナの礎を創った立役者たちであることは事実だろう。

そして1〜2年かけ彼らの軌跡を訪ね、岡崎・浜松・静岡、上野や芝、鎌倉・日光や会津高田・川越などを廻った。お袋方が愛知、親父方が福島(栃木にその後本家は移る)、そして自分が静岡&東京というのもご縁を感じる。

2012年12月21日冬至はマヤ暦では闇の時代から光の時代へのターニングポイントと言われている。またその日は1万3千年周期で起こる地球→太陽→銀河の中心が一直線で結ばれた珍しい時でもあったそうだ。

我が母国ではその前年2011年3月11日に地震津波原発事故が起こり、皆の人生と意識に喝を入れられた。
昨年2013年は日本の二大神社ともいえる伊勢神宮と出雲大社の遷宮(伊勢は20年ごとの式年遷宮、出雲は60年〜70年ごとなので式年遷宮ではない)=建て替えが同時に行われた。

個人的にも有り難いことに外に向けてのワークは一切なしの状況で2012〜2014年は公私に渡りさまざまなカタチでの見直しと手放し、生き方や生活の組み直しが行われている。
これは自力のみで出来ることではなく、他力からのガツ〜ンフォースもあってこそ…いやはや御陰様で:)

個は世に連れ、世は個に連れ〜一見別々の点でしかない歴史や数字、出来事や自分を俯瞰的に観て、また繋げることは面白い立体パズルだ。

来年2015年は徳川家康公顕彰四百年。
そんな年を迎えるにあたり、このタイミングで詣でたんだ。

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来年は日光のここにも久しぶりに行きたいなぁ…

パラダイムシフトの時。
“わたし”が変われば“せかい”が変わる。(バガバットギーター帯より)

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■無知+思いやり

「無知の知」
他人の無知を指摘することは簡単であるが、言うまでもなく人間は世界のすべてを知ることはできない。ギリシアの哲学者ソクラテスは当時、知恵者と評判の人物との対話を通して、自分の知識が完全ではないことに気がついている、言い換えれば無知であることを知っている点において、知恵者と自認する相手よりわずかに優れていると考えた。また知らないことを知っていると考えるよりも、知らないことは知らないと考えるほうが優れている、とも考えた。
なお、論語にも「知るを知るとなし、知らざるを知らずとなす、これ知るなり」という類似した言及がある。

「無知の罪」
一方で、無知を罪とする見方もある。たとえば文化の異なる集団の間でやりとりをする場合、その違いを把握しておかねば、無用な衝突を生じる場合もある。可能な限り、相手に対する知識を得るのは必要にして当然の処置である。たとえば生麦事件のようなことすら起こりかねず、その場合に「知らなかった」では通用しないことはままある。

〜すべてWikipediaより引用

一昨日は雨のために外でやる予定だったワークが中止。
鉛色の午後、雨音を聴きながらこれを観たんだ。

いろいろ考えさせられた。
結果、人類の意識の進化に希望を持つ。とともに個人的に反省することもあり…

「無知」いう言葉が浮かんだんだ。

「無知」のまんまでは “罪”を上塗りしてしまい、罪を犯したことを“知”ることにより自省し、改められれば成長も出来る。

そして「思いやり」という言葉も浮かんだ。

翻って〜テロは言語道断。でも「表現の自由」は大切だけど、「ペンは剣より強し」、といってもそのペンを使う人が「無知」で「思いやり」がないとそれも武器のひとつとなり争いの火種になる。さらにこちらが「善」で相手が「悪」だと決めつけ、お互いが怒りと怨みでそう信じ込んでいたら堂々巡りだ。

本当の「善」は相対的なものではなく、絶対的なものなんだろう…言葉を変えれば「愛」なんだろう…

「思いやり」を調べていたらこれを見つけた。
思いやりと個人 “COMPASSION AND THE INDIVIDUAL”
ーダライ・ラマ 1991年ー

でもこの次元で生きている未熟な自分にはそれを頭で理解出来ても、行動や生き方として現すことはなかなか出来ない。卑下はいかがなものかと思うけど、無明な自分はどうしたらいいんだろう??

自分の問題とその集合体である世界の問題。
問題はあってもいいと思う、なぜならそれは進化のための一つのきっかけだから。

でもどうしたら?どこから?ってグルグル廻る。
お手軽に解決出来ることは問題とは呼ばない。

だから、ここのところシンプルに祈ってるんだ。
「助けて下さい」と。あと「お願いします」って。

大好きなアマチの最近の言の葉を。
「人間の頭脳は、宗教やカーストや言語や国境の名のもとに、数多くの分断を生み出してきました。すべてを包み込む純粋な愛の橋を創り、自分たちの創ったそれらの壁を打ち壊しましょう。」
ーアマチ 2014年スピーチ@ローマ ヴァチカンー

ダライ・ラマやアマチ、同じ時代を生き、自ら世界を廻って語りかけてくれる…在り難い存在ですね〜マジで:)

生命(イノチ)の奴隷化が無くなりますように。

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