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Hideki SHIRASAWA
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serch
■安曇と志賀島

前の続きです。

な〜るほど、熱海と福岡はこういう繋がりもあったんだぁ〜。
というわけで、下記各種WEBからのリエディットです。

古代日本を代表する海神族として知られる有力氏族で、発祥地は筑前国糟屋郡阿曇郷(現在の福岡市東部)とされる。古くから中国や朝鮮半島とも交易などを通じて関連があったとされ、後に最初の本拠地である北九州の志賀島一帯から離れて全国に移住した。この移住の原因として、磐井の乱や白村江の戦いでの安曇比羅夫の戦死が関係しているとの説がある。
安曇族が移住した地とされる場所は、阿曇・安曇・厚見・厚海・渥美・阿積・泉・熱海・飽海などの地名として残されており、安曇が語源とされる地名は九州から瀬戸内海を経由し近畿に達し、更に三河国の渥美郡(渥美半島、古名は飽海郡)や飽海川(あくみがわ、豊川の古名)、伊豆半島の熱海、最北端となる飽海郡(あくみぐん)は出羽国北部(山形県)に達する。この他に「志賀」や「滋賀」を志賀島由来の地名として、安曇族との関連を指摘する説がある。

さらに詳しくはこちらへ
●安曇族

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博多湾の入口にある志賀の島は、海人の安曇族の根拠地として、また、AD57年に後漢の光武帝から授かった「漢委(倭)奴國王」(カンノワノナノコクオウ)と彫られた金印が出土した地として知られている。
中国大陸を制覇した後漢から、奴国王が金印を授かったことは破格の厚遇である。
なぜ光武帝は倭国の中の一部族に過ぎない奴国に金印を与えたのか、また、なぜ奴国王は遠く洛陽まで使者を出したのか。両者の間には、金印授受に値する結びつきがあったはずだし、また、突然の訪問で金印を授かることは考えられないから、それ以前に奴国は中国大陸と交流があったはずである。
その交流にしても、奴国王の使者が洛陽まで出かけるにしても、海を渡らなければならない。そこには航海術に長けた海人の安曇族が深くかかわっていたはずである。
古代において、安曇族がいかなる活動をしていたのか、その謎を解く鍵はこの金印に秘められているだろう。 

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さらに詳しくはこちらへ
●海から見た日本列島〜海人の安曇族の活動を追いかける

PS
先日宮崎君から伺った話
時は流れ〜倭→和(調和 平和)→大和(さらにおっきな調和 平和)
「ヤマト」…本来は右寄りの言葉ではないと思う。

祈願の言霊
日の本ニッポンが目指す、全人類が目指す指針。
世界の平和、人類の調和、おっきな和〜そう解釈するといい言葉ではないでしょうか?

というわけで現在これ、読んでます。
●聖徳太子『十七条憲法』を読む—日本の理想

聖徳太子は神仏儒習合=和の基礎を作った1人。
菩薩とも言える存在がトップリーダーでもあった。

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先入観が朽ち、いろんなこと再発見しています〜歳を重ねる良さのひとつです。
生活観光は時空を超えても楽しめますね:)

右でもなく、左でもなく、まっすぐ。
どちらかではなく、どちらも。
覇道でもなく、王道でもなく、和道を求めて〜まだ実現していない世界を夢見て。

by tra
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