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Hideki SHIRASAWA ![]() Environmentalist TAO Lab代表 うお座 “Think Cosmically Act Joyfully" More Profile Web:http://www.taolab.com Mail:alohahideki@taolab.com calender
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December 25, 2009
「マリア」を変更。
やばい、美しい映画でした。 監督は小泉堯史。この監督の映画= 雨あがる(2000年 監督) 阿弥陀堂だより(2002年 監督/脚本)博士の愛した数式(2006年 監督)すべて好きです。黒沢明監督の助手のひとり。流石です。 さて本物の岡田資さん
高貴なお坊さんのような顔立ちと瞳。 「毒箭」
岡田資(たすく)陸軍中将は東海方面軍司令官として敗戦を迎えたが27名のB29米空軍投下員を略式または軍事裁判によって処刑した責任により昭和24年9月15日B級戦犯として絞首刑に処せられた。 『毒箭とは阿含経でも大涅槃経でも仏陀が説いた譬えである。 また岡田氏は自序に次のように述べている。岡田氏の宗教は獄中で生まれたのではなく、獄中で仕上げられたのである。 『昨年5月末、この特設房の人となって以来、仏教に関する多少の素養を基として、これ絶好の機会なりと修行につとめてみた。そして当時80名余の同村青年の苦悩を見ては、かれこれ理屈を考える閑もなく、片端から同行としてその手をつかんだものである。 その5月を無事に迎えてからは、毎日の文を綴り続けて7月中旬になった。とうとう付箋付きの賑やかな300枚の草稿となったのである。即ち一応整理してみる気になった。今日この跋文に筆とる事の出来るのは、何と有難い事ではある。 陸軍士官学校を出て、軍人勅諭を捧じつつ、人の子を教うる身になってから、私は特に何か充たされないものを感じて何時とはなく、宗教書に親しむようになった。 編者の久保田正文は序文に次のように述べている。 「岡田氏は獄内に法華経を持ち込むことを許され、うすい便箋に鉛筆で随筆、教義的なもの 法戦の3部作を綴った。鉛筆を削るナイフは持つことが許されず、コンクリートの壁でこれを削って芯を出し辛うじて書き記す事が出来た。その原稿は極めて判読し難いものであったが編者は慟哭を禁じえなかったと述べている。この貴重な人間記録を公にすることは、法華経信仰に生きる者の聖なる義務であると思うに至った。」 中将の横浜裁判での「法戦」は大岡昇平の長編ノンフィクション「ながい旅」に岡田中将による無差別爆撃の立証、空襲軍律と方面軍司令官の軍律、権限の関係を詳述している。岡田中将は横浜裁判で名古屋空襲の無差別爆撃を十分に立証し、米国側も充実した裁判と認めつつもB級戦犯として絞首刑に処せられた。 『米軍の爆撃をば露骨に批判せしめたのは、市ヶ谷をも含む軍事法廷中、実に我等の法廷が唯一のもであったと思う。少なくとも最初の事であったのである。敗軍の将に悠々八日間も証人台に於いてあれだけ無遠慮な陳述や駁論を吐露せしめた事はありがたかった。「誰を予の位置に立たしめても我等以上の処置は採れなかったであろう。我等はあの熾烈な盲爆下情況に応ずる最善を尽くしたままである。故に毎日この法廷に通う吾人だけは、青空に一点の雲もなき境地を持ち続けている」ということを、全証言を終わった日に挨拶の辞として残して来た。』 法戦の内容は省略し裁判の最後の場面のみ引用する。 『漸く8日間に亘る、記録破りの証人台にさようならかと思う途端に、検事席からそれこそ旗本を以ってする突撃を加えてきた。 この証言で死刑宣告を受けた伊藤少佐は釈放され、岡田中将以外は減刑となり一人で責めを負った結果となった。 『爆撃下吾人の採った行動は、今日冷静に法理一本もて解剖せらるるならば、色々な批判があるであろう。吾人としても考えさせられる事無きにしも非ず。然れども吾人は、爆弾と火災の裡に、漸く生命を保ちつつ、決戦準備の重荷を負わされて、あえぎながらそのベストを尽くしてきたのである。顧みて正に吾人は満足感を持つと言うて憚らぬ。計らずも公正寛大な取り扱いを受け誠に感謝に堪えぬものがある。 以上の発言には部下の減刑の願いが込められている。 最後にこの裁判を書き記した大岡昌平著 ながい旅 「すると閣下は口をすすがれ、再び顔を拭かれた右手首にいつもの数珠をかけられて『なすことはなし終わった。君らは心配するな。最後まで正法を護念せよ』といって軽く頭を撫でてくださった。——— 合掌。 ホーリナイト。 ●岡田中将我が子へ贈る言葉 岡田中将は昭和23年3月、米空軍降下員を処刑した責任により、勝者の裁判にかけられ絞首刑の判決を受けた。その一ヵ月後、4月29日に結婚する長男陽氏のため獄中で下記の「愛児の結婚」を記した。翌年9月に刑は執行された。 愛児の結婚(昭和23年4月25日) 『陽の肉体は私たちの肉体の分裂したものを、現生衆生万物凡そ関係あるものが、頼まれずとも総がかりで、助成培養して今日に至ったものに相異無い。(衆生の恩)陽の本体こそ、宇宙大生命力そのものにあるにしても、この本体を覆蔽する無明位の、威力強き精神の内容の大部分と云うものは、父母を通じて、その過去の系統の精神の伝承であり、就中、我等二人のものを強く享けているのです。善いものも、善くないものも、包含して。これらに陽自身宿世の業力(精神活動の結果として生じた作用)も勿論仲間入りしている筈だ。 先ずは親の我が子への慈愛に胸を打たれる。ここで思い起こされるのは「父母恩重経」である。この経典は子の親への孝行だけでなく親のあるべきことを教えているといわれる。また親の恩に報いるのは、普通言われる孝養ではなく三法を親に奉じることであるといっている。岡田中将は我が子に三法を信じる言葉を贈っている。死刑を宣告された直後で、正に断崖にさらされた人間の叫びであり、高僧の教えをも超えた崇高さと悟りの境地を感じる。仏教では恩には父母、衆生、国王(国)、三法の四恩があると教えているが、岡田中将は我が子に衆生の恩と、四恩中最高の三法の恩を説いている。
by tra
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