ヘッダー
■岡田資さん

「マリア」を変更。
観たいと思っていてちゃんとに観ていなかった
「明日への遺言」を鑑賞。

0912251.jpg

やばい、美しい映画でした。
内容は申しません〜よかったら観てください。

監督は小泉堯史。この監督の映画= 雨あがる(2000年 監督) 阿弥陀堂だより(2002年 監督/脚本)博士の愛した数式(2006年 監督)すべて好きです。黒沢明監督の助手のひとり。流石です。
岡田資中将役は藤田まこと。海外でもそうですがお笑い出身者には素晴らしい役者さんが多いですね。超渋いかっこいい役でした。

さて本物の岡田資さん

0912252.jpg

高貴なお坊さんのような顔立ちと瞳。
感動しちゃってこれ見つけて手に入れました。
映画のおかげで再発されたものです〜有り難いなぁ〜良さげだから!

「毒箭」

0912253.jpg

 岡田資(たすく)陸軍中将は東海方面軍司令官として敗戦を迎えたが27名のB29米空軍投下員を略式または軍事裁判によって処刑した責任により昭和24年9月15日B級戦犯として絞首刑に処せられた。
 岡田中将が獄中書き上げた遺稿は昭和29年に賛助会員によって出版された。その題名は「毒箭」である。題名の由来は岡田氏が以下のように著書に述している。

『毒箭とは阿含経でも大涅槃経でも仏陀が説いた譬えである。
何処からとも知らず、一筋の毒箭が飛んできた。そしてそれがわが身に突き刺さったとき、間髪をいれず、箭を抜き棄て、毒の始末、傷の手当てを急がないと一命が危ない。
箭は誰が射たか毒の種類はなどその原因をすべて知ろうとしてもついに知ることなく命を失うのみである。
仏陀は箭を抜き捨てることを忘れ、即今ここで煩悩毒を除去すべきこと、解脱涅槃を得べき緊急の修行を行うべきで、徒に宇宙がどうの未来がどうのと、哲学的に探求することを先とすれば主客緩急をわきまえない大矛盾であると戒めたのである。
自分は一般の煩悩箭に加え第二の絶対時限箭をうける身であるがこれは抜き捨てる自由は無く、矢のあるがまま前者の煩悩箭もろとも速やかに浄化摂取しなければならない』

  また岡田氏は自序に次のように述べている。岡田氏の宗教は獄中で生まれたのではなく、獄中で仕上げられたのである。

『昨年5月末、この特設房の人となって以来、仏教に関する多少の素養を基として、これ絶好の機会なりと修行につとめてみた。そして当時80名余の同村青年の苦悩を見ては、かれこれ理屈を考える閑もなく、片端から同行としてその手をつかんだものである。
我自身の出来不出来など顧慮する暇もなかった。
仏教に関する愚見を記録し始めたのはこの3月に入ってからである。5月末を以って我が人生の最後と判断したからである。

その5月を無事に迎えてからは、毎日の文を綴り続けて7月中旬になった。とうとう付箋付きの賑やかな300枚の草稿となったのである。即ち一応整理してみる気になった。今日この跋文に筆とる事の出来るのは、何と有難い事ではある。

陸軍士官学校を出て、軍人勅諭を捧じつつ、人の子を教うる身になってから、私は特に何か充たされないものを感じて何時とはなく、宗教書に親しむようになった。
私が真正面から、法華経の解読と取り組んだのは、大正九年の秋からである。陸軍大学一年生時代だ。当時その勉学は実に難解なもの哉と思うた。確か最初の念珠は堀ノ内妙法寺の前から求めたと思う。』

編者の久保田正文は序文に次のように述べている。

「岡田氏は獄内に法華経を持ち込むことを許され、うすい便箋に鉛筆で随筆、教義的なもの 法戦の3部作を綴った。鉛筆を削るナイフは持つことが許されず、コンクリートの壁でこれを削って芯を出し辛うじて書き記す事が出来た。その原稿は極めて判読し難いものであったが編者は慟哭を禁じえなかったと述べている。この貴重な人間記録を公にすることは、法華経信仰に生きる者の聖なる義務であると思うに至った。」

 中将の横浜裁判での「法戦」は大岡昇平の長編ノンフィクション「ながい旅」に岡田中将による無差別爆撃の立証、空襲軍律と方面軍司令官の軍律、権限の関係を詳述している。岡田中将は横浜裁判で名古屋空襲の無差別爆撃を十分に立証し、米国側も充実した裁判と認めつつもB級戦犯として絞首刑に処せられた。

『米軍の爆撃をば露骨に批判せしめたのは、市ヶ谷をも含む軍事法廷中、実に我等の法廷が唯一のもであったと思う。少なくとも最初の事であったのである。敗軍の将に悠々八日間も証人台に於いてあれだけ無遠慮な陳述や駁論を吐露せしめた事はありがたかった。「誰を予の位置に立たしめても我等以上の処置は採れなかったであろう。我等はあの熾烈な盲爆下情況に応ずる最善を尽くしたままである。故に毎日この法廷に通う吾人だけは、青空に一点の雲もなき境地を持ち続けている」ということを、全証言を終わった日に挨拶の辞として残して来た。』

 法戦の内容は省略し裁判の最後の場面のみ引用する。

『漸く8日間に亘る、記録破りの証人台にさようならかと思う途端に、検事席からそれこそ旗本を以ってする突撃を加えてきた。
「6月26日両人会談の際、何れが搭乗員を極刑に処すべし、ともヒントを与えたりや」
「余は余の判断によりて、ヒントを得たり。」これで質問はポツリと真の終了となった。』

 この証言で死刑宣告を受けた伊藤少佐は釈放され、岡田中将以外は減刑となり一人で責めを負った結果となった。

『爆撃下吾人の採った行動は、今日冷静に法理一本もて解剖せらるるならば、色々な批判があるであろう。吾人としても考えさせられる事無きにしも非ず。然れども吾人は、爆弾と火災の裡に、漸く生命を保ちつつ、決戦準備の重荷を負わされて、あえぎながらそのベストを尽くしてきたのである。顧みて正に吾人は満足感を持つと言うて憚らぬ。計らずも公正寛大な取り扱いを受け誠に感謝に堪えぬものがある。
 当法廷のこの寛大公正さは、やがて我が国民の伝聞するところとなると思う。その日彼等は吾人と同様に、感謝の念を抱くに相違ない。その気持ちこそは、今日太平洋を挟む日米両民族の提携—米を兄、日を弟とするーに必要不可欠の要素の一であるべきものである。』

 以上の発言には部下の減刑の願いが込められている。

最後にこの裁判を書き記した大岡昌平著 ながい旅より岡田中将の最後を引用。

「すると閣下は口をすすがれ、再び顔を拭かれた右手首にいつもの数珠をかけられて『なすことはなし終わった。君らは心配するな。最後まで正法を護念せよ』といって軽く頭を撫でてくださった。———
思わず自分は「南無妙法蓮華経」と声が喉について出た。するとあちらこちらの部屋から一度に大きな唱和の声がわきおこった。このときアダムスという大尉が来ていて、彼は始終不動の姿勢で見守っていた。矢張り将軍というものに対する敬意を持っていたのである。
目の前で手錠をうけられ、一番端の部屋より挨拶をされて廊下を行かれた。そして階段をおりつつ、閣下の大きなあの美しい唱題が廊下一杯に響き渡り、大扉の閉まるまであい呼応して唱題の声が続いた。」(同室者の回想)

合掌。
戦争は良くないけど、どんな時代にも素晴らしい人はいる。
もちろん、岡田さんも戦闘遂行のおりにはたくさんの方の命を奪ったことだと思います。
本当に人は仏にも畜生にもなれる。
逆境こそ、人は試される〜肝に銘じます。

ホーリナイト。
そりゃ〜戦争や貧困や飢餓はなかなかなくならないだろうな・・・でも切に願います。
この惑星から戦争や貧困や飢餓なくなりますように。
皆それぞれが笑顔:)でいられますように。
終わりよければ総てよし!
『青空に一点の雲もなき境地』そんな人生の終点を迎えたいものです。

●岡田中将我が子へ贈る言葉

岡田中将は昭和23年3月、米空軍降下員を処刑した責任により、勝者の裁判にかけられ絞首刑の判決を受けた。その一ヵ月後、4月29日に結婚する長男陽氏のため獄中で下記の「愛児の結婚」を記した。翌年9月に刑は執行された。
以下はその一部である。

愛児の結婚(昭和23年4月25日)

『陽の肉体は私たちの肉体の分裂したものを、現生衆生万物凡そ関係あるものが、頼まれずとも総がかりで、助成培養して今日に至ったものに相異無い。(衆生の恩)陽の本体こそ、宇宙大生命力そのものにあるにしても、この本体を覆蔽する無明位の、威力強き精神の内容の大部分と云うものは、父母を通じて、その過去の系統の精神の伝承であり、就中、我等二人のものを強く享けているのです。善いものも、善くないものも、包含して。これらに陽自身宿世の業力(精神活動の結果として生じた作用)も勿論仲間入りしている筈だ。
己の精神を静かに反省して弁別し、長を伸ばし、短を矯め、無限に仏格神格に向って前進して行く事が一生の仕事です。
愛の神も慈の神も無論同一のもの、万物救済の大誓願に四六時中、心を砕いて居られるものである筈、是に摂取せられ是に愛用(恩寵を受けるというキリスト教の言と同じ)せらるる如き人生を生き抜く事が、そなたの人生でなくてはならない。
陽と過去に於ける私との関係は、右の如くだが、今でも、之からでも同じように、両親の精神活動即ち業力は、そなたに力を与えるのです。我等二人の生命は陽を伝つても、無限に生続けます。
陽の顔、身体、仕事上の活躍振り、さては音声等々、自身を鏡面に見つめているような錯覚に捉われる事もある。一人で微笑が漏れる。母も多分そんな気がすると思う。
と云うて陽よ、両親以外の大生命に根拠を持ち、これから無限の供給を享け得るそなたである。両親の既成枠内に拘束さるべきものではない。
純子さんも御両親に対しては、陽の我等に対すると同一の関係を持っています。この両人が一心同体になって、人生を送るべき運命は、神仏の思召しです。有り難く享けましょう。久遠の人生ですから、過去生に私とも深い関係があった事でしょう。(以下略)』

 先ずは親の我が子への慈愛に胸を打たれる。ここで思い起こされるのは「父母恩重経」である。この経典は子の親への孝行だけでなく親のあるべきことを教えているといわれる。また親の恩に報いるのは、普通言われる孝養ではなく三法を親に奉じることであるといっている。岡田中将は我が子に三法を信じる言葉を贈っている。死刑を宣告された直後で、正に断崖にさらされた人間の叫びであり、高僧の教えをも超えた崇高さと悟りの境地を感じる。仏教では恩には父母、衆生、国王(国)、三法の四恩があると教えているが、岡田中将は我が子に衆生の恩と、四恩中最高の三法の恩を説いている。

by tra
トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.taolab.com/mt/mt-tb.cgi/1368

コメントを投稿
管理者に承認されるまではコメントは表示されません。