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December 25, 2009 Archive
■岡田資さん

「マリア」を変更。
観たいと思っていてちゃんとに観ていなかった
「明日への遺言」を鑑賞。

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やばい、美しい映画でした。
内容は申しません〜よかったら観てください。

監督は小泉堯史。この監督の映画= 雨あがる(2000年 監督) 阿弥陀堂だより(2002年 監督/脚本)博士の愛した数式(2006年 監督)すべて好きです。黒沢明監督の助手のひとり。流石です。
岡田資中将役は藤田まこと。海外でもそうですがお笑い出身者には素晴らしい役者さんが多いですね。超渋いかっこいい役でした。

さて本物の岡田資さん

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高貴なお坊さんのような顔立ちと瞳。
感動しちゃってこれ見つけて手に入れました。
映画のおかげで再発されたものです〜有り難いなぁ〜良さげだから!

「毒箭」

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 岡田資(たすく)陸軍中将は東海方面軍司令官として敗戦を迎えたが27名のB29米空軍投下員を略式または軍事裁判によって処刑した責任により昭和24年9月15日B級戦犯として絞首刑に処せられた。
 岡田中将が獄中書き上げた遺稿は昭和29年に賛助会員によって出版された。その題名は「毒箭」である。題名の由来は岡田氏が以下のように著書に述している。

『毒箭とは阿含経でも大涅槃経でも仏陀が説いた譬えである。
何処からとも知らず、一筋の毒箭が飛んできた。そしてそれがわが身に突き刺さったとき、間髪をいれず、箭を抜き棄て、毒の始末、傷の手当てを急がないと一命が危ない。
箭は誰が射たか毒の種類はなどその原因をすべて知ろうとしてもついに知ることなく命を失うのみである。
仏陀は箭を抜き捨てることを忘れ、即今ここで煩悩毒を除去すべきこと、解脱涅槃を得べき緊急の修行を行うべきで、徒に宇宙がどうの未来がどうのと、哲学的に探求することを先とすれば主客緩急をわきまえない大矛盾であると戒めたのである。
自分は一般の煩悩箭に加え第二の絶対時限箭をうける身であるがこれは抜き捨てる自由は無く、矢のあるがまま前者の煩悩箭もろとも速やかに浄化摂取しなければならない』

  また岡田氏は自序に次のように述べている。岡田氏の宗教は獄中で生まれたのではなく、獄中で仕上げられたのである。

『昨年5月末、この特設房の人となって以来、仏教に関する多少の素養を基として、これ絶好の機会なりと修行につとめてみた。そして当時80名余の同村青年の苦悩を見ては、かれこれ理屈を考える閑もなく、片端から同行としてその手をつかんだものである。
我自身の出来不出来など顧慮する暇もなかった。
仏教に関する愚見を記録し始めたのはこの3月に入ってからである。5月末を以って我が人生の最後と判断したからである。

その5月を無事に迎えてからは、毎日の文を綴り続けて7月中旬になった。とうとう付箋付きの賑やかな300枚の草稿となったのである。即ち一応整理してみる気になった。今日この跋文に筆とる事の出来るのは、何と有難い事ではある。

陸軍士官学校を出て、軍人勅諭を捧じつつ、人の子を教うる身になってから、私は特に何か充たされないものを感じて何時とはなく、宗教書に親しむようになった。
私が真正面から、法華経の解読と取り組んだのは、大正九年の秋からである。陸軍大学一年生時代だ。当時その勉学は実に難解なもの哉と思うた。確か最初の念珠は堀ノ内妙法寺の前から求めたと思う。』

編者の久保田正文は序文に次のように述べている。

「岡田氏は獄内に法華経を持ち込むことを許され、うすい便箋に鉛筆で随筆、教義的なもの 法戦の3部作を綴った。鉛筆を削るナイフは持つことが許されず、コンクリートの壁でこれを削って芯を出し辛うじて書き記す事が出来た。その原稿は極めて判読し難いものであったが編者は慟哭を禁じえなかったと述べている。この貴重な人間記録を公にすることは、法華経信仰に生きる者の聖なる義務であると思うに至った。」

 中将の横浜裁判での「法戦」は大岡昇平の長編ノンフィクション「ながい旅」に岡田中将による無差別爆撃の立証、空襲軍律と方面軍司令官の軍律、権限の関係を詳述している。岡田中将は横浜裁判で名古屋空襲の無差別爆撃を十分に立証し、米国側も充実した裁判と認めつつもB級戦犯として絞首刑に処せられた。

『米軍の爆撃をば露骨に批判せしめたのは、市ヶ谷をも含む軍事法廷中、実に我等の法廷が唯一のもであったと思う。少なくとも最初の事であったのである。敗軍の将に悠々八日間も証人台に於いてあれだけ無遠慮な陳述や駁論を吐露せしめた事はありがたかった。「誰を予の位置に立たしめても我等以上の処置は採れなかったであろう。我等はあの熾烈な盲爆下情況に応ずる最善を尽くしたままである。故に毎日この法廷に通う吾人だけは、青空に一点の雲もなき境地を持ち続けている」ということを、全証言を終わった日に挨拶の辞として残して来た。』

 法戦の内容は省略し裁判の最後の場面のみ引用する。

『漸く8日間に亘る、記録破りの証人台にさようならかと思う途端に、検事席からそれこそ旗本を以ってする突撃を加えてきた。
「6月26日両人会談の際、何れが搭乗員を極刑に処すべし、ともヒントを与えたりや」
「余は余の判断によりて、ヒントを得たり。」これで質問はポツリと真の終了となった。』

 この証言で死刑宣告を受けた伊藤少佐は釈放され、岡田中将以外は減刑となり一人で責めを負った結果となった。

『爆撃下吾人の採った行動は、今日冷静に法理一本もて解剖せらるるならば、色々な批判があるであろう。吾人としても考えさせられる事無きにしも非ず。然れども吾人は、爆弾と火災の裡に、漸く生命を保ちつつ、決戦準備の重荷を負わされて、あえぎながらそのベストを尽くしてきたのである。顧みて正に吾人は満足感を持つと言うて憚らぬ。計らずも公正寛大な取り扱いを受け誠に感謝に堪えぬものがある。
 当法廷のこの寛大公正さは、やがて我が国民の伝聞するところとなると思う。その日彼等は吾人と同様に、感謝の念を抱くに相違ない。その気持ちこそは、今日太平洋を挟む日米両民族の提携—米を兄、日を弟とするーに必要不可欠の要素の一であるべきものである。』

 以上の発言には部下の減刑の願いが込められている。

最後にこの裁判を書き記した大岡昌平著 ながい旅より岡田中将の最後を引用。

「すると閣下は口をすすがれ、再び顔を拭かれた右手首にいつもの数珠をかけられて『なすことはなし終わった。君らは心配するな。最後まで正法を護念せよ』といって軽く頭を撫でてくださった。———
思わず自分は「南無妙法蓮華経」と声が喉について出た。するとあちらこちらの部屋から一度に大きな唱和の声がわきおこった。このときアダムスという大尉が来ていて、彼は始終不動の姿勢で見守っていた。矢張り将軍というものに対する敬意を持っていたのである。
目の前で手錠をうけられ、一番端の部屋より挨拶をされて廊下を行かれた。そして階段をおりつつ、閣下の大きなあの美しい唱題が廊下一杯に響き渡り、大扉の閉まるまであい呼応して唱題の声が続いた。」(同室者の回想)

合掌。
戦争は良くないけど、どんな時代にも素晴らしい人はいる。
もちろん、岡田さんも戦闘遂行のおりにはたくさんの方の命を奪ったことだと思います。
本当に人は仏にも畜生にもなれる。
逆境こそ、人は試される〜肝に銘じます。

ホーリナイト。
そりゃ〜戦争や貧困や飢餓はなかなかなくならないだろうな・・・でも切に願います。
この惑星から戦争や貧困や飢餓なくなりますように。
皆それぞれが笑顔:)でいられますように。
終わりよければ総てよし!
『青空に一点の雲もなき境地』そんな人生の終点を迎えたいものです。

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■岡田陽さん

ご縁とは不思議なものです。

前回アップした岡田資さんのこと。

戦争を美化する訳ではありませんが、生き様の素晴らしさは肯定させていただきます。
その息子さんの陽さんへのメッセージも転載させていただきました。

岡田陽さん・・・今気づいたのですが岡田先生?岡ちゃん???
在校時の玉川学園高等部部長=校長で芸術全般に理解が深く、特に演劇に情熱を捧げていらっしゃた方。
俺が中学のときに縁会ってお目にかかり、玉川学園に入るきっかけを与えてくれた一人。

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昭和20年9月20日、岡田資中将(右から2人目)が巣鴨プリズンへ出発する当日、愛知県半田市の自宅で撮影した家族の写真。中将の左隣が陽さん〜気づいてみると面影あります。

【「明日への遺言」の証言者たち】長男・岡田陽さん(上)
【「明日への遺言」の証言者たち】長男・岡田陽さん(下)

まさか、岡ちゃんが資さんのご子息の陽さんとは思ってもみませんでした。
劇中に出てきた結婚する相手の純子さん、純子先生は玉川学園創立者の小原先生のお嬢様でした。「学校で出会った」とか「教育に舞踊を取り入れる」とか台詞がありましたが、まさか玉川学園のこととは露知らず・・・個人的に感動したことは深めていきたい性分で、機会があったら岡田中将のご遺族の方にもお目にかかってみたいと思っていましたが、既に会っていました。
岡田陽・岡田純子、ドンピシャの名前なのにもかかわらず気づかず、まさしく縁は円なり:)

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岡田陽先生&純子先生夫妻

残念ながら岡ちゃん、岡田先生は本年11月26日に86歳で永眠されました。
12月2日にお葬式だったそうです・・・4日からお江戸出てたけどそんなこと知らず・・・学校出てからご無沙汰でなんのお礼も出来ませんでした。

でも再び、こうやってご縁いただき誠に感謝しております。
その節は大変お世話になりました。
またお父様の生き様には頭が下がります。
クリスマスの日に知らぬが仏ならぬ、仏のご縁を感じさせていただきました。
お父様とごゆっくりあの世で交歓してください。
また、残された私たちをお守りください。

合掌。

真理に基づいた法が守られますように!
どうでもいい法は無くなりますように!

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