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LAB LETTER 199545988

『四国88ヵ所歩き遍路の記』ちょうど30年前、1995年3月3日"雛祭り"発心旅立ち〜4月8日"花祭り"満願お陰さま

*TAO LABより
1995年──今からちょうど30年前の3月3日。
晴海から船に乗り、四国・徳島へ。
それが、私の「発心」──四国八十八ヵ所歩き遍路、旅立ちの日だった。

同棲していた彼女としばしの別れ。
まだ冬の気配が残る東京湾の風が、胸の奥の完治することのない傷口をえぐるように吹いていた。
早生まれの私は、もうすぐ35歳になる34歳。
心は真っ二つ、迷いと祈り、絶望と希望の狭間にあった。

前の年の八月から、私はある僧侶夫妻のもとで奇妙な体験を続けていた。
この世とあの世〜天海、徳川家康が、白隠が、山下奉文、東条英機が、後醍醐天皇、昭和天皇などなど歴史上の人物からのメッセージ─さらに、伊豆とハワイとインド、UFOと龍、地球次元と銀河空間が交差し、いま・ここに過去と未来が折り重なる、そんな「不思議」「ぶっ飛び」を超えたリアルの只中にいた。

そして、二月の終わり。
アパートの公衆電話が鳴った。(まだ携帯のなかった時代だ)
受話器の向こうから僧侶夫妻の声──
「ヒデキくんが危ない!」「大難を小難に、小難を無難にするには......今すぐ、四国歩き遍路に出なさい!」

突然の宣告。理由も説明もない。
"危ない"とは、いったい何が?

普通なら戸惑うところだが、この頃の私は違った。
半年にわたる彼らとの体験で、言葉の背後にある"光"の波動を、理屈ではなく直観で感じ取るようになっていた。

それは「悪意」ではなく、「光」から私のために放射されたコトダマだった。
光からのメッセージは「理解する」ものでも「納得する」ものでもない。
ただ、「信じる」─それだけでいい。
でも、これ、自分が真っ新な邪気のない状態ではないと難しい〜ということも今ならハッキリと判る。

当時、私は熱海で「TAORIUM」という小さなショップを営んでいた。物理的にも精神的にも、長旅に出る余裕などなかった。
けれども"光"を信じて行動すれば、結果として目の前の唯物的な問題などは、結果、それはあくまでも結果だよ!、勘違いしないで!!
すべて「解決」する〜そんなことを体験を通して教えられたのも、この時だ。

メッセージを受けてから一週間後...人生で二度目の剃髪をし、"死国"とも呼ばれる四国へ向けて出立した。
どん底と天空、惨めと感謝、悔いることと勇気、その両方を存分に味わう旅の始まりだった。

この巡礼の記録は、一切残していない。日記も写真もない。
記憶も霞んでいる〜ただ、強烈な体験は身体が覚えている。
皮膚が風を記憶し、足が地の呼吸を覚えている。

──2026年3月3日。
私は再び、四国へ向かう。
このマガジンへの記録は、その"再出発"の意味を探るためのもの。
過去を書きながら、未来へ「いま」から歩き出すための「文字の巡礼」なのだ。


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この写真は俺ではありません〜イメージで引っ張ってきました。

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