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アマドゥ・ジャーニュが歌う "セネガルの心" 『イントロデューシング〜セネガルの若き語り部』

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*TAO LABより
アマドゥ・ジャーニュはセネガル・ダカール近郊の出身。彼は西アフリカの伝統文化などを歌や楽器演奏で語り継ぐ"グリオー"と呼ばれる人々の家系の生まれで、彼も4歳より楽器演奏を学ぶようになり、祝い事の席などでその腕前を披露するようになりました。そして20歳になった彼は国立楽団に入団してパーカッショニストとして活躍するようになりましたが、同時に自身が歌うオリジナル・サウンドもこのころより追求するようになりました。その後彼はイギリスに渡って暮らすようになりましたが、そのことがより故郷への想いを強くし、セネガル色の濃厚な音楽を作るようになってゆきました。そして"バトル・オヴ・ザ・バンズ"というコンクールで見事優勝し、デビューとなったそうです。

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セネガル色を前面に押し出したアコスティック・サウンドと共に、伝統的で表現力豊かな哀愁漂うアマドゥのヴォーカルがたまりません。彼はジェンベ、カラバシュ、タマ、ダルブッカといった各種打楽器のほか、ギターもプレイするというマルチプレイヤーですが、その根本はやはり打楽器奏者としての感覚が濃厚で、ギター・プレイからもそんなパーカッシヴな感覚が強く伝わってきます。もちろん本作でのベーシック・トラックはすべてアマドゥが担当。そこに曲によってはチェロやベース、サックスなどが重ねられているほか、西アフリカのハープ"コラ"がフィーチャーされたトラックもあるなど、セネガルらしさがとても伝わってきます。

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INTRODUCING : AMADOU DIAGNE 2012年

*余談
アフリカにはイスラム圏ですがモロッコしか行ったことがありません。
スペイン・バルセロナからモロッコ・カサブランカへ〜今からちょうど36年前1988年のことです〜そして、カサブランカから陸路、車、飛ばしてマラケシュに向かいました。当時お気に入りだったマリのミュージシャン、サリフ・ケイタのカセットをドライバーに渡し、道中、爆音でかけてもらいました。彼、超気に入った模様で「ちょうだい」と言われ、御礼であげたことも思い出のひとつです。
途中、砂漠の中に突然現れた、濃い碧い一色で出来た町などぶっ飛びました。この旅、写真一切撮ってない(カメラ忘れた旅でした...トホホ)ので記憶違い?かも、ですが確かに観た記憶が。

マラケシュでは奮発して最高峰のホテルのひとつ、サンローランも愛した「ラ・マムーニア」に泊まりました、当時の妻と。
バックバックで世界漫遊フラフラとともに、第三世界だからこそ、お金の使い方としてたまに奮発、こういうリズム刻むのも人生の体験、旅の醍醐味のひとつです。
このホテルは2020年に大改装を行ったそうですが、タイル、インテリア、庭園、照明...総合的な佇まい〜どれをとってもとてもそれはそれは美しかったこと、記憶に刻まれています。
もちろんサービスも...その後、パリに行く予定でしたが、当時、パリで大きな国際的な催しがあり、その時点でどう足掻いても宿が取れない状態でした。にもかかわらず、行っちゃえっと思っていた自分も無謀:)ではありますが、旅とはそういうものです。
で、その時、この宿の女性コンシェルジュが「任せて!」と言ってくれ、結果、そんなに高くない宿を取ってくれたこと〜有り難かったです。超一流ホテルのコンシェルジュのネットワークと力、恐るべしと知った次第です。

...その後、アフリカ大陸ご縁がありませんが、あらためて地中海諸国とともに訪ねたい大陸です。


アフリカの音楽〜70年代からいろいろと聴いてきましたが、また国や民族によりいろいろですが、このような哀愁漂うサウンドが好みです。

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