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怨霊から神様へ〜この秋、あらためて日本三大怨霊にまつわる場所を訪ねてました。

*TAO LABより
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怨霊とは、恨みを持って人に災いをもたらす霊のことで、古代より様々な怨霊の存在が伝えられています。その中でも特に恐ろしい力を持ち、日本三大怨霊と呼ばれているのが、菅原道真、平将門、崇徳天皇で、いずれも平安時代の人物です。

平安時代...江戸時代と共にこの時代、日本が独自に発酵し、日本文化が発光した時代。
江戸時代は約300年、平安時代は約400年続きました。基本、平和な時代が続きましたが三大怨霊すべてが平安というコトダマ・オトダマ持つ時代に生まれたというのも何故なのでしょうかね?

怨霊というとほとんどの方は恐怖を感じると思いますが、わが国の不思議なところは怨霊をマツルコトにより祟り神とされた人間のたましいが神格を与えられた後、このクニを守るハタラキをすることが多いということ、それがたましいの覚醒ということだと光文書で積哲夫さんが指摘しておりました。なるほど〜と共鳴いたします。

21世紀に入ってから、911〜311〜567...これら偶然でしょうか?10年ごとに起こりました。
世界は今までにない姿で混沌とした時代を迎えております。そんな激動の時代、東洋でもない西洋でもない和の國日本はあらためてそれらの凸凹を和するお役目があるかと〜とともにますます唯物に侵され和の精神性を失いつつある私たち日本人...目覚めよ!日本人〜そんな念いを胸にこの秋、怨霊から神様になり人類世界に貢献するこのクニを守るハタラキをするサイキョウ:)のお三方を信じ、意識して縁のある場所にカラダを持っていきました。そこで天仰ぎ、頭垂れ、手を合わせてきたのです。


*菅原道真
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太宰府天満宮...大宰府の地で903年生涯を終え、菅原道真公が埋葬された御墓所の上に905年に祀廟(しびょう)が創建され、919年には勅命によって立派な御社殿が建立されることになった。​その後、兵火などにより数度焼失を繰り返し、太宰府天満宮の御本殿が現在の形になったのは1591年のことと。
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北野天満宮...菅原道真は、903年、無念のうちに亡くなったのち、当時の人々はその霊が雷神となって都に戻り、藤原氏のいる清涼殿に雷を落としたと信じた。942年、平安京の右京七条二坊十三町に住む多治比文子(たじひのあやこ)に、道真の霊が乗り移る。文子に憑依した道真は自分を祀るように強く求めたという。ちょうどこの時期、平将門の乱や藤原純友の乱などが続発しており、そこで朝廷は、平安京内の右近馬場の地に北野天満宮を創建することとした。
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*平将門
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将門塚...東京都千代田区大手町にある、平将門の首を祀る塚。ここをイジると不思議な事故が続き...結果、日本一地価が高いエリアの一つにも拘わらず、首塚は取り壊しや移転を免れて残ることと。
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神田明神...「江戸の総鎮守」〜大己貴命(だいこく様)少彦名命(えびす様)平将門命(平将門公)の三柱の神様をご祭神としている。元々は首塚の傍にあったが、今の神田明神の位置、江戸城から見ると鬼門の方向に当たる場所に1616年に移された。鬼門=北東、我が国では古来「鬼の去来する方角」とされ忌避される。そこに将門を祀る神社を置き、やって来る鬼=災いに対し将門に江戸を守ってもらうことに。祟り神を守り神へという発想がここでも。ただし首塚は祟りが恐ろしく動かせなかったという...
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*崇徳天皇
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白峯神宮...「保元の乱」の首謀者として、讃岐国(香川県)に流され、死して天下を祟り、国家を悩ましてやると誓って、髪も爪も切らず生きながら天狗の姿となって強い恨みを抱いたまま、1164年、46歳で亡くなり...長い日本の歴史の中で、史上最悪と言われる怨霊になってしまった崇徳天皇。讃岐には崇徳天皇陵(白峯御陵)とその傍にある第81番札所白峯寺に崇徳上皇の供養塔とも伝えられる白峯寺十三重塔がある。
時を経て、明治天皇の父にあたる孝明天皇は、幕末の動乱を少しでも鎮めようと、崇徳天皇の神霊を京都に奉還し、鎮魂するために白峯神宮の創建を決意。しかし、急に孝明天皇は亡くなってしまう〜徳川慶喜の支持者だった孝明天皇を岩倉具視が暗殺という説も...あり得るかとも想われます。そして1868年、父帝・孝明天皇の遺志を引き継いだ明治天皇は、讃岐から京都へ700年ぶりに崇徳天皇の神霊を迎えた。のち1874年藤原仲麻呂の乱で淡路に配流となった淳仁天皇も淡路陵から御霊を遷し合祀。
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ザックリと日本三大怨霊について述べました。個々、興味がありましたら深掘りしてください。

共通しているのはまさしく怨霊から神様へ〜マイナスのエネルギーをプラスに変換〜守り神としてマツルコト。ここに和の精神性の仕組みの一端を感じるのは私だけでしょうか???

日本の文化を守る菅原道真、日本の首都江戸東京を衛る平将門、お二人が祀られている縁のある所は多くの方の参拝で賑わっておりました。

個人的に今回感じたのは日本を、天皇家を護る崇徳天皇が鎮座する白峯神宮が上記の場所に比べると寂しかったことです。昔はこの社を通る時は皆、頭垂れ、手を合わせたそうです...

平安時代に生まれたサイキョウの守り神に...日本を〜さらに世界の平安+そのために必要な人類の精神性のシンカを祈願いたします。

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