MAGAZINEマガジン

連載

YAJIN LENS by 岩崎努

第22集:「当時の最先端技術!」

*TAO LABより
二十二回に渡りお楽しみいただいた岩崎さんの「野人レンズ」、今回が一区切り、This is it〜ラストとなります。
皆さま、いかがでしたでしょうか〜This IZU.PHOT
あらためて岩崎さん、またよろしければ伊豆の光と影:)ご紹介させてください。
ありがとうございました!

岩崎 努 プロフィール
1963年4月生まれ。京都市出身。
上智大学文学部哲学科卒業後、出版社勤務、水泳のインストラクターなどを経て、同志社大学大学院文学部西洋史科に入学。
在学中に、イタリアのペルージア大学付属機関「古代社会研究所」に籍を置き古代イタリア民族「エトルスキ」の文明研究を続ける。
帰国後、病のため研究を断念、2013年11月に下田市に移住。
2016年に下田市の「第4回下岡蓮杖フォトコンテスト」にてグランプリを受賞し、写真家の道を歩み、現在に至る。
344513050_809874237191773_284151678235558685_n.jpgのサムネイル画像


(1)「秘密の技術は韮山に!」
幕末、黒船迫る!
この一大事に、幕府は海外から兵器製造のために、新技術を導入することになります。
太陽光を用いた、「反射炉」がそれです。
そこで、大砲を製造する計画を練り、韮山に「反射炉」を建設しました。
言わずと知れた、「韮山反射炉」は「世界遺産」に認定されています。
DSC_3931AA.jpg

写真転載複製厳禁
場所:韮山
日付:2015年12月1日
データ:Nikon Df, f9, ss 1/125, ISO 125


(2)「下田にも?」
実を言うと、この「反射炉」計画、下田にもあったのです。
黒船の寄港地として、下田にこれを建設すると、製造時の煙で、計画がバレるおそれがあるために、韮山に計画を移したと言われています。
この石材は、下田に残る「反射炉」建設に用いたものではないかと言われているものです。
バス停名にも残る下田の「反射炉跡」です。
DSC_8385AA.jpg

写真転載複製厳禁
場所:下田市
日付:2016年7月3日
データ:Nikon Df, ss 1/250, ISO 125


(3)「日本初?!」
この「韮山反射炉」では、主に大砲が製造されたわけですが、驚くようなものも作っていました。
それは、パンです。
何と平和的な利用でしょうか!
しかも、これが日本人により初めて焼かれたパンだったとは!!!
大砲からパンへ!
こんな発想で行きたいものですね!
DSC_3961AA.jpg

写真転載複製厳禁
場所:韮山
日付:2015年12月1日
データ:Nikon Df, f9, ss 1/125, ISO 125


NEXT

PAGE TOP