MAGAZINEマガジン

連載

本日の一冊

戦前「日本的科学」の樹立を目指した橋田邦彦さんとは???

動乱期、近衛文麿 東条英機内閣時代に文部大臣だった橋田邦彦 -1882年(明治15年)3月15日 〜1945年(昭和20年)9月14日- の存在を知りました。

橋田邦彦:日本の医学者、教育者。医学博士。号は無適。旧姓藤田。生理学者藤田敏彦の実弟。
「科学する心」を推称、学校教育での自然観察を推進するなど、戦後の科学教育においても影響を与えた。
また、興亜工業大学の創立に際して、政府代表として関わっている。

彼が提唱した「科学する心」は唯物的な科学ではなく唯心論とともにそれらの融合、霊的和力とも云える「日本的科学」の樹立を目指したと理解。
『自然と人』『道としての教育』『行としての科学』『科学する心』『全体と全機』... 橋田邦彦の著作タイトルです。
これらタイトルは一神教二元論から生まれた「西洋科学」とは一線を期すのでは? それは相容れないと思われている「科学」と「宗教」をひとつに捉えることと思われます〜日本語脳からこの次元に顕現するシン・カガク。
また医のシステムは「医学」「医術」「医道」、この三つからなると唱え、西洋は「医学」「医術」はあっても「医道」がない、東洋は「医術」「医道」はあっても肝心の「医学」がないとした。このセンス、ナイスセンスかと。

〜で、彼の科学精神の根本を理解する上で『正法眼蔵の側面観』を見つけ、手に入れました。

A3C01B7B-8EB7-4F7C-9EB1-AD55317DBFEF.JPG
正法眼蔵の側面観
:橋田邦彦

「正法眼蔵」の深い理解者であり、物事の根源、心の世界を見つめて人びとに働きかけ、希望へと導いてた、橋田邦彦。人格者として動乱期の文部大臣を歴任、学徒動員に反対し、東條内閣を批判、辞任。
...しかし、戦後A級戦犯として連行される時、服毒自殺、残念。
人と国を興すことに実を捧げた方です。彼の名誉が回復しますように〜合掌。

71pqp50VyQL.jpg
葬られた文部大臣、橋田邦彦
:髙橋琢磨


さらに科学する心=橋田邦彦にも1章割かれているこちらを関連図書として読み始めています。

81zT0xHVwjL.jpg
近代日本の科学論―明治維新から敗戦まで
:岡本拓司

こんな書籍もこのタイミングで最近、出版されてます。
61tQkJ7-OcL.jpg
橋田邦彦・現象学・アーレントの再解釈 -生活世界における公共性と倫理
:岩田直樹

「目に見えないモノコトは存在しない!」という唯物論に囚われていた今までの科学...量子学の進歩により、今までの常識が非常識に、トンデモが常識になろうとしています。
今からおおよそ100年前、東洋でもなく西洋でもなく、その両者の素晴らしい長所を取り入れ、さらに宇宙的とも云える日本語脳OSを通して「科学する心」を試行錯誤をしていた橋田邦彦と志同じくする同志たち。
死んでもタマシイは、精神=精製された神性は死なない」〜21世紀を迎え、いよいよ和の国、母国日本からシン・カガク〜シン・ジダイの狼煙が上がる、そんな予感が...

NEXT

PAGE TOP