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三島龍澤寺〜山本玄峰老師と田中清玄氏

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*TAO LABより
先日アップしたこちら〜『田中清玄氏と山本玄峰老師
その後、沼津所用で出かけたおり、時間があったので久しぶりに龍澤寺に行きました。

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清々とした境内。

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龍が迎えてくれました。

戦前11年あまりの獄中生活を経て、昭和16年4月29日、皇紀2600年の恩赦で出所した清玄さん。
その年6月にこちら、玄峰老師のもと、龍澤寺にて修業がスタート〜典座を務めた。
獄中結婚をしていた伴侶のひで夫人も入山許されたいう〜とても珍しいことだが、玄峰老師の粋な計らいかと思われます。

戦後、清玄さんは
玄峰老師との出会いは「私の人生における最大、無上の幸福であった」と終生、敬愛の年を持ち続けた。

戦後すぐ、恩赦をいただいた天皇陛下に個人的に謁見し、戦後の獅子奮迅、端倪すべからざる活動をスタートさせたというのは天の計らいか...粋なもんです、宇宙の営み:)

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30年にわたり、娑婆で典座の仕事に従事:)していた私はまずは台所に行きましたが、さてさて、今回の目的はここにある田中清玄さん一族が眠るお墓にご挨拶に行くこと。
仏の教えとは到底思えない現在のお寺のシステム〜そんなんでその結果である霊園お墓嫌いの私にとって、龍澤寺のお墓は数少ない訪ねたくなる場所です。

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墓石が球体、なんともARTな景色かと〜またその石には「○○家」などとは彫られててなく、「夢」とか「道」とか一文字だけが彫られてます。
粋で鯔背な禅寺です。

余談ながら、自分の肉体離れる時の場所とこの世でのその後の肉体の始末は計画済み:)です。肉体を与えてくれた父母ご先祖様にはもちろん大恩いただいてますが、たとえ球体でも一族のお墓に入るつもりは一切ありません。

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さて、こちらが田中家のお墓です。
線香焚き、手を合わせ、ご挨拶差し上げました。
ひで夫人もお母様のアイさんもご一緒でした:)

さて、清玄さんのお墓には何という文字が刻まれていたでしょうか???

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世界が平和で人類が平安でありますように。

合掌

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