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本日の一冊

花房東洋〜綺麗な名を持つ堅強な漢

*TAO LABより
先日、10代の頃に多大な影響を受けた竹中労+英太郎親子のお墓参りに行きました。

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作家の山平重樹さんのgoenで労さんの妹とともに、松方弘樹さんの二番弟子の東映須賀章さん、そして、今回ご紹介する花房東洋さんに出会いました。

*花房東洋さん
昭和22年京都市紫野に生まれる。
日本映画振興財団製作顧問。昭和維新顕彰財団特務理事。前・公益社団法人日本マレーシア協会理事長
大阪市立工芸高校図案科卒業後、デザイナー・ディレクターを経て、ラジオ・TV番組制作に従事。関西放送事業株式会社取締役・プロデューサーとなる。傍ら、アジア・中近東を歴訪、国際社会運動に貢献。
平成元年、外務省外郭法人・日本マレーシア協会の総務部長として入局。理事・専務理事・理事長を歴任し、平成14年辞任。
平成16年、中国・上海において、在留邦人6万人の生命と財産を守るため防衛省・警察庁・検察庁OBらと共に「東方安全保障機構」を設立、総裁に就任。
平成22年、一切の役職・立場を辞し京都の生家にて小庵「大愚業林」を結び、隠遁生活に入る。
平成24年、俳優・榎木孝明氏との出会いにより「銀幕維新の会」を設立する。

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東洋さんから書籍が届きました。

日本人よありがとう
マレーシア...台湾とともに戦前の日本の役割の光の部分を認め、感謝してくれている国。
本書の主人公ラジャー・ダト・ノンチック氏は、列強に立ち向かった日本人が、アジア諸民族に大きな感動と自信を与え、覚醒させたことに心から感謝した。しかし、ノンチック氏は、敗戦後、そうした歴史を忘却し、アジアへの思いを失った日本人に対する失望を隠さなかった。 「どうして日本人は こんなになってしまったんだ」と。 ノンチック氏が失望した理由は、少なくとも二つある。一つは、日本人が敗戦の後遺症を引きずり、戦勝国から押し付けられた歴史観から抜け出せず、民族としての誇りを喪失したままだからだ。もう一つは、日本人自身の堕落である。道義心や思いやりの心を失い、利己主義、拝金主義に陥った姿をノンチック氏は深く嘆いた。この嘆きは、「日本人よ、本来の気高き魂を取り戻せ」という切望でもある。
その想いと記録を当事者の方の言葉で形にしてくれた著作。

個人的には「マレーの虎」こと山下泰文さんとの霊的な30年ほど前からの交流から始まった先の大戦の慰霊の旅で亜細亜+太平洋を回る旅を続けていますが、マレー半島のタイ+マレーシアの上陸地からシンガポール降伏までの道程、そしてフィリピンの処刑地での慰霊碑建立を何年か掛け、ひとりで行ったこと、良き想い出です。

"青年日本の歌"と三上卓
三上卓氏(1905年〈明治38年〉3月22日 - 1971年〈昭和46年〉10月25日)は、日本の海軍軍人、政治活動家、国家主義者。最終階級は海軍中尉。号は大夢。
佐賀県出身。第二次世界大戦以前の五・一五事件、および戦後の三無事件の双方に参加した人物として知られる。「青年日本の歌」(昭和維新の歌)の作詞者。
東洋さんは昭和40年春、調布にある生長の家本部道場で修行中に三上さんに出会ったそうです。当時、東洋さんは10代後半ですね。それをきっかけに東洋さんは生長の家谷口雅春師の教えを堅持しつつ、行動的には三上さんを師と仰ぎ、指示するようになったそうです。
この書は師弟関係にあった東洋さんが企画監修した1冊である。
あとがきに
「師 三上卓 逝きて三十五年、今なお私は師に問い続けることを止めることができない。自分のあらゆる行動に対して、心の中に在る師に問い続けている。もし、師であれば、どのように考え、行動するのか。師は今でも私の行動規範である。〜中略〜本書は、過去を語るものではない。また、三上卓の一物語でもない。偉大な行動かであり、思想家であった一人の男が残した永遠に続く壮大な真実の軌跡である。〜後略〜」
と東洋さんは綴っています。

「生長の家」は中学に時に苦い想い出が...そして三上さんが亡くなったのは伊豆の萬城の滝とのこと〜合掌。

私家版 大愚記
私家本 大愚記(花房東洋自伝)。花房東洋著 坪内隆彦編。
非売品。


満月へ石段のぼりつめにけり 
ふり向けばわが影もなく秋

十六の歳に維新回天の志を立て、師・三上卓という満月を目当てに石段をのぼり来し五十年、振り返りみれば、何事も為し得ぬ暗中模索・試行錯誤の走馬灯。道半ばならずして、すでに人生の秋風を聴く身、ここにわが甎全なる人生を書き留めしことにより、後進の反面教師となれば、せめてもの御奉公かと思い定め、己の不敏も顧みず本書を発心するに至った次第。

みやこべに散り損なひの桜かな

平成二十三年十二月
洛北紫野の小庵にて
大愚東洋識

限定500部の貴重な書籍をいただきました。
ありがとうございます!

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