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平凡な覚醒  by しろかげ。

透明な抱擁 3.

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 形見になってしまったユージの車に久しぶりにキーを挿し、国道を西へ向かった。緑色のガードの手前で左へ折れると、半島へ向かう一本道へ出る。起伏に富んだ海岸線に沿ってハンドルを右へ左へ不規則に旋回させながら、背後に遠ざかるわが町をちらと確認する。半島からは街並みがちょうど海越しに見えて、この道はまるで南へ向かって離陸するように日々の暮らしを向こう岸へ置き去って行く。私はこの一部始終の光景を助手席から眺めるのが好きだった。
 「海の中から見てるみたいだよね。地続きなのにさ」
 そう言ったユージの横顔は穏やかで、海を渡った大気が三分の一だけ開いたウィンドウから乱暴に侵入して来ても、私には唇に絡みつく髪の煩わしささえ愛しい抱擁に感じられたものだった。

 そう言えば最後の夜も、私は伸び過ぎた前髪を口に絡ませながら帰宅したのだった。明日からユージがいなくなるというのに予定外の打合せに振り回された私は、大切な最後の晩餐のための買い出しに行くこともできず苛立っていた。息を整える間も無く部屋へ入ると、ユージはリビングでテレビに観入っているところだった。

 「おかえり」
 「ゴメン何にも用意出来ていなくって」
 「いいよゆっくりで」

 そう言ってテレビに視線を戻したユージの穏やかさは、むしろ私の苛立ちを加速させた。悟られないように振舞ったつもりだったけれど、ユージは何か食べるものを買ってくるよと一人で外へ出て行ったきり、シャワーした私の髪が冷たくなるまで戻って来なかった。私はユージを心から愛していたけれど、ユージの穏やかさにむしろ不安になることが少なくなかった。あの時も、あの場面でも...。


つづく>>>
しろかげ。>>>

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