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「真我への目覚め」岡潔 解説:横山 賢二

【16】意志の教育

*講演日 :1967年12月6日 於 大阪市 北陵中学校
 もし、誰でも、完全に、快、不快によって判断し行為したら、あくる日から会社はクビになるでしょう。すべからざることはしない。その時は不愉快に決まっている。その時は不愉快だけれど、そうやって積重ねていけば心の安定が得られる。心の真の喜びが得られる。そうでなければ、心の安らぎを得られない、それが人です。

 自分を深くふりかえってみたら、わかるでしょうが、今、教育は、快、不快によって、判断せよと教えている。それで生徒が不快そうな顔をすると止めてしまう。今の教育は、全然といっていい程、意志の教育をやっていない。意志力のいることは、やる者にとってはいやなこと、だから、みんな抜いたらしい。

 例えば、教えたものは覚えなくてはいけない。覚えるためには意志力が必ずいります。一番いるだろう。習ったものは覚えなければいけないと言えば、一番、意志の教育になるのです。意志の教育は使わすことによって発育させることですのに、それをいらないとしてしまう。覚えなくてすめば、まことに、子供は喜ぶ。その代り、これは、意志力を使わないので、全く意志の発育はない。試験は◯✕式で覚える必要はない。無茶です。

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解説16
2017.11.09up
 ここは社会生活や学校教育の基本を岡が語っているところであって、珠玉の言葉が目につく。

 たとえば社会人に対しては「快、不快によって判断し行為したら、あくる日から会社はクビになるでしょう」とは、いつの世でも社会の鉄則である。

 たとえば今、学生に万引きが多いとよく耳にする。それに対しては「すべからざることはしない。その時は不愉快に決っている」という岡の厳しい言葉がつづく。

 また、「教えたものは覚えなくてはいけない。試験は◯✕式で覚える必要はない。無茶です」は今の教育を見事に突いている。

 そして最後に「明治まで、日本の教育というものは、仏教にしろ、儒教にしろ、その反対ばかりやってきたのです」というのであるが、我々はもう一度「百年の計」といわれる教育を1から考え直さなければならないのではないだろうか。しかしその前に既に、岡には教育論の集大成「教育の原理」(復刻版「日本民族の危機」収録)がある。


*岡潔思想研究会
http://www.okakiyoshi-ken.jp/index.html

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