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「真我への目覚め」岡潔 解説:横山 賢二

【12】 吉田松陰

*講演日 :1967年12月6日 於 大阪市 北陵中学校
 〝日本民族〟、これは心が自分だと思っている人達の集まりですから、心の民族です。日本民族の中核の人達は1つに合わさっている。あとの人達は、だんだん同化されるのですが、同化度は一定しないで様々です。同化できた人、これは日本民族の中核ですが、そういう人はどう思っているかというと、自分は日本民族という心から生まれてきて、やがて、又、そこへ帰って行く、ひとひらの心だ、とそう思っている。

 これを、明治の頃の人について見てみると、例えば吉田松陰です。松陰は、斬罪になるその日、いよいよ首を斬られる順が回ってきて、「寅次郎、立ちませぇ」と言われて立ち上がった時、これは、松陰にも意外だったらしいですが、強い喜びがこみ上げてきた。それで、松陰は、「ちょっと待ってくれ」と言って、そのせわしないさ中に、自分は、今、非常に嬉しいという意味の歌を一首書き残しています。日本民族の本当に中核をなす人は、このように〝死を見ること帰するが如し〟という心境でした。

 肉体を自分と思っている人は、さあ、首を切られるという時になれば、周章狼狽して、取り乱して悲しみ、到底、嬉しいという歌を詠んでいるなどという暇や余裕のないことはおわかりになるでしょう。明治の頃の人が、よく働いたのが、真我を自分だと思っていたからであり、今の日本人が、さっぱり冴えないのは、小我を自分だと強く教えられているからです。これをやっているのが、日本国新憲法の前文です。

吉田松陰.jpg

*解説12
2017.11.09up
 岡は教育者としては吉田松陰を最も高く評価する。岡が最晩年提唱した「春雨村塾しゅんうそんじゅく」の命名は明らかに、自身の「春雨の曲」と松陰の「松下村塾」の併用である。ここに中国人、胡蘭成と岡との「松陰」についての対談の記録がある。

 (胡) 私はやはりこれは政治の課題であると思います。国民大衆の教育を改革するというより、先ず先知先覚の士を育成すべきである。
 (岡) ともかく、悟り得るものを悟らせればいいんでしょう。
 (胡) そうですね。孟子がいう、政治は先知先覚によって行い、国民は後知後覚ですから、先知先覚に教わる他にない。明治維新のとき、吉田松陰が国民大衆を教育するなんてしませんよ。士を養う、十何人。その十何人ができたら政治は変わる。政治が変わったら国民の教育の質と制度はいっぺんに変わる。先に教育を改革することはできません。
 (岡) 松下村塾ですが、あれは悟り得るものに悟らせたことと、もう1つは、教えたのは方法じゃない、直接行動を教えた。
 (胡) あの教え方が非常に高い。
 (岡) 直接行動を教えたんですね。まあ今の若い人は、教えなくても直接行動(学生運動)をしそうな形勢ですね。
 (胡) 直接行動とはまず政治の維新行動のあり方ですね。吉田松陰はこれを少数の人に教えた。岡先生のも、先知先覚を育成するにはふさわしいが、国民を教えるには全然不向きといえる。
 (岡) そうですね。

  身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも
  留め置かまし大和魂          吉田松陰

*岡潔思想研究会
http://www.okakiyoshi-ken.jp/index.html

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