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オダワラ興味sing!sing!選曲リスト

VOL3 2020-12-16

*TAO LABより
2回めの選曲が芸能界ではない、日本のフォーク・ロックの目覚めに繋がる出会いの楽曲でした。
今回は小学生から中学にかけての初めてシリーズで〜ただし、原曲ではなくカバーでご紹介。
kyoumi_sing!sing!_logo.jpgのサムネイル画像
*1曲目

ブルー・ライト・ヨコハマ/由紀さおり+ピンク・マティーニ
〜はじめて自分の意思で買った子供目線ではないシングル盤は1968年6月発売のいしだあゆみさんの「ブルーライト・ヨコハマ」。
当時のお小遣いをほとんど一気に使い、なんでこの楽曲が子供目線ではないレコード購入筆おろしになったのかなぁとあらためて思います。どうしても欲しく、気に入ったことは確かなのですが。その後知りましたが、この曲の作曲は今年惜しまれつつ亡くなった筒美京平さん〜自身が手掛けた楽曲で初のオリコン週間1位を獲得する出世曲となり、また、この楽曲で第11回日本レコード大賞・作曲賞を受賞した。

このカバー曲が入っているポートランドのイカしたジャズ・アンサンブル=ピンク・マティーニと由紀さんの共演アルバム「1969」は洒落てますよ。

人生とは、ご縁とは面白いもので、当時、いしだあゆみさんが所属していた「芸映プロダクション」の専務(一度目の結婚のときの仲人をしていただきました。大恩人の一人です。)にその後、学生時代にとても可愛がわれたり、また、このレコードを発売していた「日本コロムビア」でレコード企画宣伝の仕事をするなんて小学3年生の自分は知る由もなし。

*2曲目

ポケットいっぱいの秘密/MANNA(マナ)+ティン・パン・アレイ
〜はじめて自分の意思で観に行った歌謡曲のコンサートは有楽町日劇でのアグネス・チャン。
1974年中学3年生の時。で、ついでに記憶が間違っていなければ同じ時にやっていた東京駅大丸でのアンディ・ウォーホール展もこのタイミングで観覧。当時の白澤少年はアグネス+アンディ、「ア」が大好きでした:)
このステージは今思うとバックは鈴木慶一さん率いる「はちみつぱい=ムーンライダース」、はちみつぱいは先週紹介したあがた森魚さんのバックバンド(正確にはデビュー前は同じバンド仲間)でもありました。この歌ははっぴぃーえんどのドラマーだった松本隆さんの専業作詞家デビュー作でもあり、編曲+バックは同じくはっぴぃーえんどだった細野晴臣さん鈴木茂さんのキャラメル・ママ。
この楽曲は1974年の発売。
カバーはキャラメル・ママの進化系、ティン・パン・アレイのある意味、セルフカバー、1977年の作品。余談ながらこの歌を唄っているMANNAさんはブレッドアンドバターのお兄さん、岩沢幸矢(さつや)さんの奥様です。

PS
筒美京平さんと松本隆さん...当時は歌手の方に惹かれていたのですが、今思うと、作り手送り手の方たちの良質なセンス、裏方とはいえ実験精神あるクリエイターの存在を無意識でしたがキャッチ、興味津津、惹かれていたのかもしれません。

翌年1975年の夏、はじめてアメリカメキシコへの旅に行きました。アメリカのスーパーマーケットに買い出し行ったとき、店内がアンディ・ウォーホールまんまで:)帰国後、キャンベルのスープ缶をたくさん買い込み、部屋に飾った思い出があります。ウォーホールの作品より安く、また、リアルに食べれたので「これでいいじゃん!」と思った次第。

*3曲目

シェリーに口づけ/石川ひとみ
〜初めて自分の意思で観に行った外タレコンサートはミッシェル・ポルナレフ。
1973年中学2年生の新宿東京厚生年金。新宿なのでその時はじめて小田急ロマンスカーに搭乗、行きにちょい背伸びし、レモンスカッシュをオーダー、飲んだ記憶が〜:)歌謡曲より、洋楽のほうがコンサート先だったんですね。思春期時代には映画もそうですがイギリスやアメリカの英語文化とは違ったフランスやイタリアの文化に漂う享楽甘美なお洒落さに惹かれてもいました。
このオリジナル楽曲は1972年に発売。
カバーは私と同学年でもある石川ひとみさんの作品をチョイス。創られたのは新しく2006年の「With みんなの一五一会〜RADIO DAYS」から。一五一会とは沖縄のBIGINが考案開発した「三味線とギター」のチャンプル楽器のこと。ひとみさんの旦那様でもあるミュージシャンプロデューサーでもある山田直毅さんとこの楽器を使っアルバムをいくつも録音しています。


...番組の感想やリクエスト等、送っていただけたら幸いです。
fmo@fm-odawara.com

*YouTube
著作権の関係でトークのみの録音です
https://www.youtube.com/watch?v=Se5leJqqtG0

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