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「自他一如」〜医の現場から見えること〜 by 岡田恒良

第三十四回『「空気」の研究」についての研究』

○ 今年分かったこと
この目に見えない微小なウイルス、これがこんなにも大きく世界を揺るがせてしまった今年。そしてこんなにも大規模に人々が反応してしまって、世界中のあらゆる活動が停滞、大混乱してしまったこと。

この現象に対して、幾年かののち「何故あんな過剰に恐れ、大騒ぎになってしまったんだろう!」っていう、狐に騙されたような気がして、不思議な思いが湧き上がるようになること、このこともほぼ確実でしょう。

ウイルス禍真っ只中の状況ではなかなか分かって頂けないことでしょうが、今年のこの現象は医学的なことのみならず、社会現象としても貴重な分析資料をあたえてくれることになるでしょう。

とにかく、日本人が何故こうも真面目にマスク、消毒、自粛、在宅を遵守しているのか、このことが良し悪しは別として十分に検討を要する現象です。

マスク・消毒・自粛などの行いはそれぞれ感染拡大を少しでも予防でき、とても素晴らしいことだとは思いますが、それを実践するにあたり、各自がその意義をしっかり考えてやっているのか、それともただ右に倣えだけでやっているのか、そこが今回の検討テーマなのです。

おそらく多くの方々は政府・マスコミ等の誘導、それに従った各組織(職場・学校など)の意見に従ってマスクをされていると思います。まず、公共放送や市町村からの通知などをまるで法律であるかのように遵守しています。

このマナーや規律を守るという真面目さだけでなく、いつも他者の目を気にして行動する、空気を読むということ、これが日本人だということを思うのです。

この空恐ろしい「空気」はなんなのでしょう。

○ 空気の研究は大事
かの山本七平氏は、「「空気」の研究」なる作品を通じて、日本人の特質を鋭く分析しました。現在に必要なとても考えさせられる名著です。

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「空気」の研究 ー 山本七平 著

日本人がこれまでにも何度も経験していること、それは空気に飲まれて言いたいことも言えず、現場の空気に支配されてしまう、ってこと。この空気というものが最終的な決定権を持っており、過去現在を問わず、日本の各現場でこれが幅を利かせている、ってこと。そういうふうにズバっと指摘されると、あまりに当たっている、そう思いませんか。

氏は具体例として大戦中のある事例を挙げています。それは沖縄戦においての戦艦大和の出撃に関するものです。どう考えても危険で、無防備な作戦であった大和の出撃、軍事専門家なら誰しもが無茶だと考える愚かな行為でした。しかし現場の空気として、この大和の出撃はもう決定的になっていたのでした。これを止めるにはあまりにも無力なことでした。反対意見を出す空気ではなかったというのが、当時を振り返った海軍軍人の声です。

同様のことは現在でも起こっています。皆さんだれしもが相槌を打って賛同していただけるでしょう。およそ日本人は空気に逆らうことができないようになってしまったのです。逆らえば、それはKY=空気が読めないバカ、っていうことです。忖度も同じことです。同調圧力も原因は同じです。

これがなんら差し障りのない分野のことなら見過ごせましょう。しかし戦争の真っ最中の重要作戦のことだったり、ましてや国会の場や、行政の重要事項のことだったらどうでしょう。医療現場でも起こってほしくないことですよね。事実に対して賛同するならまだしも、しっかり考えもしないで、ただ盲目的に同調してその行為を真似ていくという、そこが「空気」の問題点なのです。

○ 平和であるがだけに、協調性が最重要視された
幼い頃より日本人は人に信用される人になりなさいと言われて育ってきているのではないでしょうか。いくら戦後の競争社会においても、あからさまに人を押しのけなさい、勝ちなさい、強くなりなさいとはあまり言わない、そういう教育ではないでしょうか。

これは欧米とは大きく異なります。勝たなければならない、負けてはいけないとキツく教育され、敗北を嫌い、恐れ、そして努力を重ねています。これが弱肉強食社会の教育なのです。

平和であるがため、波風立てず、激論を避けて生きることは、確かに賢いかもしれませんが、いざ危機的状況の時はどうでしょう。

やはり、様々な討論を交え、少数意見やとんでもない考えも含めて、考慮するという姿勢が大事になるのではないでしょうか。

*著者 プロフィール
なごやかクリニック院長
名古屋醫新の会代表 
岡田 恒良(おかだつねよし)
https://www.facebook.com/tsuneyoshi.okada1
1955年岐阜県生まれ
1980年岩手医科大学卒
約20年消化器系一般外科医として通常に病院勤務。市民病院で外科部長として勤務中、ある先輩外科医との運命的出会いがあり、過剰医療や過剰投薬の現状に気づき、自然医学に目覚める。
1999年千島喜久男博士の勉強会を名古屋で主催、マクロビオティックの久司道夫氏の講演会企画をきっかけに病院を辞職。
御茶ノ水クリニックの森下敬一博士の機関誌《国際自然医学》に「自然医学の病態生理学」を長期連載。中山武氏の主催するがんの患者会「いずみの会」の顧問をしながら安保徹教授の講演会を開催し、親交を深めた。
看護学校にて補完代替医療について講義中。
2006年コロンビアのドクトル井上アトム氏に出会い、運動療法・自然療法の重要性を認識。以来南米に3度訪れる。 「自他一如」の探求は2000年から続く。

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