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「自他一如」〜医の現場から見えること〜 by 岡田恒良

第三十回 『日本人と神社と天皇と』 

何気なく見過ごしていたけど、いわれてみると不思議なことだ、と気づくことがあります。その一つが各地の神社の名前です。どうしてこんなたくさんの御祭神があるのか? 大国主、素戔嗚、アマテラス、大山祇、別雷、木花佐久夜毘売、菊理姫、菅原道真。キリがありません。
実在した方々なのか、全くの架空の人物なのか?調べようもありません。古事記や日本書記に登場する名もあれば、登場しない祭神もいます。

そんなときズバリ、これらの疑問に答えてくれた書があります。「消された覇王〜伝承が語るスサノオとニギハヤヒと〜

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愛知には津島神社という古社があり、スサノオを祀っています。また尾張地方の一宮は真清田神社といい、ニギハヤヒを祀っています。まさに本書と同じ神々です。

この度令和の新天皇が即位され、マスコミこぞって書き立てていくことの一つに、新天皇が126代目だということです。当然初代を神武としています。神武がいたかどうかは別として、江戸時代も、室町時代も、鎌倉時代もその前も、本当に神武を初代と考えていたのでしょうか?もし考えていたとしたら、神武を祀る神社が各地にたくさんあっていいはずでは?ところが実際には数えるほどしかありません。そこの国にその国を作った初代を大々的に祀らない国がありますか?

ご存知のように天皇のお住まいはかつては京の御所でした。そしてその前は平城京で現在の奈良市近郊です。そしてまたそれ以前となると、奈良県南部になる桜井市周辺、つまり三輪山の西麓となることは異論のないことです。ここに鎮座する大神神社、これはかつての王宮跡にあったと思われる神社ですから、それなりの人物が祀られているはずです。ここに祀られているのは「大物主=大国主」となっています。ではこの大国主、奈良にいたのでしょうか?どの文献をみても奈良の大和を統治したとは書かれていません。それなのに、なぜ大国主がこの一等地に祀られているのか?

大神神社に祀られるべき人物こそ、初代の大王でしょう。
それはズバリ、饒速日(ニギハヤヒ・天照国照彦天火明櫛玉饒速日命)です。
日本書紀巻三に長髄彦の妹を娶ったのが饒速日で、天の岩舟に乗って神武以前にこのあたりを支配していたことが書かれています。古事記にも神武の段4の久米歌にも饒速日から統治を受け継いだと書かれており、神武の前に饒速日が大王として君臨していたことが確認できます。

結局、饒速日は出雲系の天皇であり、物部の始祖でもあるため、出雲系や物部の勢力が弱体化してきたため、記録から排除され、あたかも神武が初代であるかのような記述がなされてきたというのが真相のようです。歴史書は勝者が作るという鉄則通りのことです。

さあ、これで初代大王が神武ではなく饒速日、そして彼をお祀りしているのが大神神社ということがお分かりと思います。では大国主は?そう饒速日の名が消されて、大国主に変更されたのです。

... 続く
*参考「消された覇王〜伝承が語るスサノオとニギハヤヒと〜」


*著者 プロフィール
なごやかクリニック院長
名古屋醫新の会代表 
岡田 恒良(おかだつねよし)
https://www.facebook.com/tsuneyoshi.okada1
1955年岐阜県生まれ
1980年岩手医科大学卒
約20年消化器系一般外科医として通常に病院勤務。市民病院で外科部長として勤務中、ある先輩外科医との運命的出会いがあり、過剰医療や過剰投薬の現状に気づき、自然医学に目覚める。
1999年千島喜久男博士の勉強会を名古屋で主催、マクロビオティックの久司道夫氏の講演会企画をきっかけに病院を辞職。
御茶ノ水クリニックの森下敬一博士の機関誌《国際自然医学》に「自然医学の病態生理学」を長期連載。中山武氏の主催するがんの患者会「いずみの会」の顧問をしながら安保徹教授の講演会を開催し、親交を深めた。
看護学校にて補完代替医療について講義中。
2006年コロンビアのドクトル井上アトム氏に出会い、運動療法・自然療法の重要性を認識。以来南米に3度訪れる。 「自他一如」の探求は2000年から続く。

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