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「自他一如」〜医の現場から見えること〜 by 岡田恒良

第ニ十一回 『太陽の道の謎』

 古代の人々の知恵や能力には本当に驚かされます。
知られざる古代〜謎の北緯三十四度三十二分をゆく〜」これは、息つく暇もなく読み終えた本です。奈良の三輪山がはるか古代から神聖かつ人々の深い崇拝の対象であったこと、古代人が地理と天文においても想像を超えた知恵と技術を持っていたことがこの本ではっきりしました。北緯34度32分に何があるのか!単に遺跡や寺社がその線状に並んでいるだけのことではありませんでした。一読されれば偶然の賜物では決してないことがお分かりいただけます。

 著者はNHKのディレクターであった水谷慶一氏、この方にお目にかかったのは岐阜の郡上八幡、ここは前回も古今伝授の話で登場した場所です。2013年9月のこと、当地に住む知人が「仏像〜こころとかたち〜」という講話会を主催、興味があって参加しました。その講師が水谷慶一氏でした。NHKを退官後この地に居を移されたとのこと、とても興味深いお話を伺うことができ、そのとき氏の著作の存在を知りました。
 
本書の内容を事細かに再掲載することはできませんが、三輪山を中心に東西に向けて直線を引く技術があったことは間違いなさそうです。三輪山のあるこの緯度には、長谷寺、室生寺、丹生寺、伊勢神宮斎宮跡などが、西には箸墓古墳、萩原天神(堺)、大鳥神社(堺)、伊勢久留麻神社(淡路)、石上神社(淡路)等が並び、「太陽の道」と名付けられました。

太陽の道.jpg

 また古代から伝えられている歌にも「伊勢に参らば淡路をかけて、淡路かけねば片参り」とあるようで、西にも伊勢がありそれが淡路と考えられます。また石上神社は北淡町舟木の標高160mに位置する山中にあり、数々の巨石群が祭られています。御神石と思われている一番大きな石は重さ約20トン、さらに数十個の石が円状に配置され環状遺跡を形成しているそうです。太陽信仰に関連のある磐座に間違いなさそうです。

 驚くことに、かつて測量に従事した日置(比企、戸岐など)と名乗った氏族がおり、その地名や姓がその線状の各地に見られるという事実です。これには著者もたまげたと書かれています。NHKでは水谷慶一氏をチーフ・ディレクターとする十数名のスタッフを組んでこの謎に満ちた太陽の道北緯34度27分23秒を踏破撮影し、昭和55年2月11日、建国記念日にちなんで特別番組として全局放送、謎に包まれた日本古代史解明に一つの投げかけをしました。

 これには後日談があり、この太陽の道をさらに西にたどったところ、中国大陸に行き着き、ここにあったのが嵩山(北緯34度29分)でした。ここは名高い達磨がこもった山、少林寺の山です。これは一体どういうわけなのでしょうか。人智を超えた働きを感じざるえませんね。 ...続く


*著者 プロフィール
なごやかクリニック院長
名古屋醫新の会代表 
岡田 恒良(おかだつねよし)
https://www.facebook.com/tsuneyoshi.okada1
1955年岐阜県生まれ
1980年岩手医科大学卒
約20年消化器系一般外科医として通常に病院勤務。市民病院で外科部長として勤務中、ある先輩外科医との運命的出会いがあり、過剰医療や過剰投薬の現状に気づき、自然医学に目覚める。
1999年千島喜久男博士の勉強会を名古屋で主催、マクロビオティックの久司道夫氏の講演会企画をきっかけに病院を辞職。
御茶ノ水クリニックの森下敬一博士の機関誌《国際自然医学》に「自然医学の病態生理学」を長期連載。中山武氏の主催するがんの患者会「いずみの会」の顧問をしながら安保徹教授の講演会を開催し、親交を深めた。
看護学校にて補完代替医療について講義中。
2006年コロンビアのドクトル井上アトム氏に出会い、運動療法・自然療法の重要性を認識。以来南米に3度訪れる。 「自他一如」の探求は2000年から続く。

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