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「自他一如」〜医の現場から見えること〜 by 岡田恒良

第十三回 死を受け入れない日本人    

 あれはいつ頃のことだったか、外来で患者さんに癌の告知、本当の病名を宣告することが行われるようになりました。病院で外科医として勤務していた頃、大きく方針が変化したのです。それまでは癌患者さんに対して本当の病名を告げず、◯◯潰瘍とか、炎症とかのニセの病名を告げ、家族だけには本当のことを話していました。しかし時流に押されて、医師も看護師もやや戸惑いながら、徐々に告知を行ってきたように記憶します。
今では告知することが当たり前になり、病名は当然のこと、さらに統計に基づいた予後告知も付け加えてお話しするというのが主流になっています。患者さんの中には大変なショックを受け、その告知によって明らかに寿命を縮めてしまったという方もおられました。本当に神経を使って衝撃を和らげる話し方が必要と思いました。

 日本人はかなり古くから、縁起を担ぐ、不吉なことは避ける、という習性を持って生きてきました。
先日ある温泉で、ロッカーの番号が、見事に4が抜いてある(4、14、40から49などがない)のを見て、とても驚くとともに、これが高齢者への配慮なんだろうと感心もしました。つまり言葉の響きで4が死を連想させるそれだけのことで、その番号を避ける気持ちが誰にもあるというわけです。偶然もらったロッカー番号が、42番だと、交換して欲しくなるというわけです。言霊信仰というものが古くから存在し、不吉なことは口にしない、もちろん文字にもしない、そういう習性が古くからあり、それは今も少しも衰えてはいないのです。これも日本語という世界でも特殊な言語のためであり、それを使っている日本人に特別な感情移入を強いるようです。
 
 死という表現も、非常にたくさんの言い回しがあります。亡くなるという表現のほか、逝去、死去、往生、絶命、他界、昇天などのほか、お隠れになる、仏になる、あの世に行く、息をひきとる、急逝、夭折、天寿を全う、高貴な方には崩御とか、まだまだあります。実はこうした文字を並べることすらも忌み嫌われるのが現実です。
こうした言い回しの数が多いということは、なんとか婉曲に、柔らかく表現したいという気遣いの感情の表れなんです。英語のように、dead-dye-death などを平気で使う国民性とは大きく異なるようです。

 こうした死を忌み嫌う国民性、言霊が生きている国民性はなかなか変化するものではなく、これを理解した上での行動が必要になります。
終活という名が巷に広まってはいますが、本人・家族を交えて真面目に臨終の話ができないというのは、現在でもかなりの家庭での偽らざる姿ではないでしょうか。最後を家で迎えるのか、病院に入院するのか、それとも施設なのかホスピスなのか、そんなことなかなか話題にできることではなく、決められるものではないのです。西洋の牧師や神父のように、病院に僧侶を招いて、最後のお説教を聞くなんてことはまずありえないことでしょう。
 
 日本尊厳死協会というものが昭和51年から発足し、今では組織も大きくなって一般社団法人になっています。尊厳を持って死を迎えようということで、あらかじめいたずらな延命治療を拒否する署名をしておくというのです。欧米に倣ったごもっともな活動で、たくさんの方に賛同が得られるといいのですが、参加者はなかなか増えません。それでも全国で十一万人の会員がおられるそうです。しかし、残念なことにこの案内や事前の署名などを医師として患者さんに話すのはとても勇気が必要です。かなり親密な関係でないと話しにくいのが現状です。何ら病気のない元気な方の方が現実感が薄いので話がしやすいですが、それでも話題をそちらに向けにくいことは間違いありません。
本来、日本人に終活は実は不要なのではないかと思います。あまりに不本意な延命や加療が加えられたりするから、医に対しその信用が失せてきたからこそ、この問題が取り上げられるのではないでしょうか。本来こうした話題は避けて通りたいのが日本人の人情なのです。
天国.jpg

 ...続く


*著者 プロフィール
なごやかクリニック院長
名古屋醫新の会代表 
岡田 恒良(おかだつねよし)
https://www.facebook.com/tsuneyoshi.okada1
1955年岐阜県生まれ
1980年岩手医科大学卒
約20年消化器系一般外科医として通常に病院勤務。市民病院で外科部長として勤務中、ある先輩外科医との運命的出会いがあり、過剰医療や過剰投薬の現状に気づき、自然医学に目覚める。
1999年千島喜久男博士の勉強会を名古屋で主催、マクロビオティックの久司道夫氏の講演会企画をきっかけに病院を辞職。
御茶ノ水クリニックの森下敬一博士の機関誌《国際自然医学》に「自然医学の病態生理学」を長期連載。中山武氏の主催するがんの患者会「いずみの会」の顧問をしながら安保徹教授の講演会を開催し、親交を深めた。
看護学校にて補完代替医療について講義中。
2006年コロンビアのドクトル井上アトム氏に出会い、運動療法・自然療法の重要性を認識。以来南米に3度訪れる。 「自他一如」の探求は2000年から続く。

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