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おかねのしくみ by 新藤洋一

第1回 おかねの始まりと都市

自給生活をする中で、「おかね」というものが重要なポイントになると考え始めたのは、最近のこと(10年ほど前)です。それまでは分かっていたようで分かっていなかった「おかね」...「おかねは大切」だとか「無駄遣いしない」という感覚ではなく、もっと客観的におかねについて知りたいと思うようになりました。

おかねの本質、それが人類に与えている影響力、そしてそのロジック。それが微妙に絶妙に隠されつつ、我々は日々「おかね」に関わっています。「関わっている」という表現では言い足りないほど、現代人の生活や命にまで深く入り込んでいます。

この本質は立派な大学に行っても知ることはできません。それはおかねや貨幣、そして人類との関わりが「学問化」されていないからです。このことについて、『マネーの正体』の著者吉田繁治氏は、「その意味が教えられず、経済と金融取引の背後に、隠れている」と述べています。
おかねの仕組みとその本質はどのようなものなのか。それを知りたくて自分なりに追求してきました。
そこで得られた知識や知恵を、数回にわたって紹介していきます。

おかねの誕生の背景は、多くの方が理解していると思います。
農耕が始まって余剰生産物が生じると、交換の必要性が高まります。これまでの物々交換の欠点を解消し、交換の「仲介」としての役割や価値を「貯蔵」する利点を持つ「おかね」が発明されました。
それは具体的にどのようなものだったのでしょうか。

メソポタミアの世界最古の都市テル・ブラク。この遺跡から同じ大きさの「鉢」が多数出土しました。この正体は給料袋。その中身として入っていたものは「麦」でした。ここでは麦がおかねの役割を果たしていたのです。労働の対価として麦を受け取り、その麦で生活必需品を購入したのです。「麦一鉢」が単位となり、様々な商品と交換することができます。この麦という「おかね」が生まれたことで、交換が活発になり、社会が発展していきました。

まずは都市の形成。「農耕(余剰生産物)+おかね」により、農地とは関係ない人口密集地(都市)が存在可能となりました。テル・ブラクでは1km四方に1万人の人口があったといいます。
そして職業の多様化。農業とは関係ない、自分の得意分野で生活ができるようになりました。テル・ブラクでは120の職業があり、ござ職人や音楽家もいたようです。また、農機具屋が農具の改良を重ねることで、生産が倍増し、さらに社会が発展していきました。

現在私も現金収入を得て生活をしていますが、食糧やエネルギーはかなりの割合で自給しています。その生活は人口が密集した都市では成り立ちません。我家の敷地は1反(300坪)あり、そこには住宅の他に畑、鶏小屋、薪置き場、農機具倉庫などがあります。それ以外に畑が3反、田んぼが2反あります。ここは人口密度の低い農村地帯です。

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人口が密集した都市生活を実現するためには、食糧やエネルギーの生産は他人に任せて、100%おかねで暮らすことが必須条件となります。おかねの発明がなければ、都市というものができなかったことがおわかりかと思います。


*プロフィール
作農料理人 人類研究家
新藤洋一(しんどうよういち)
1963年群馬県生まれ
1991年脱サラ後、飲食業を営みながら食糧とエネルギーの自給に取り組む。
自給生活の様子は「自給屋HP 」に掲載中。
(自給屋としての営業は2018年12月ですべて終了します)


*TAO LAB より
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