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アガタカメラ~佐藤敬子先生を探して~ by あがた森魚

第一回『ブリキの冠のオスカルたち』

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 また新学期と春を迎えた。
いつでも新学期は嬉しくて、新たな門出を、自ずからのためにあなたのために大自然のためにことほぐ。
大袈裟にいえば、この宇宙の内に、自分が存在していることへのそこはかとない歓喜とありがとう。
それは同時に「あなた」という存在の認識であり、あなたから彼方(あなた)への時空間の発見と旅行。

 この半年間、映画「佐藤敬子先生を探して」の撮影で、昨年夏の終わりから7ヶ月ほど、小樽と東京を行き来した。自分の意識も体も、2017年夏の終わり、秋、そして冬、訪れんとする春に埋没、希求しながら、希有な、大きなエポックとしての2017~2018の小樽を体感、捉えることができた。

 佐藤敬子探しとは、二十世紀を生きた一人の女性探しであり、同時代を生き、87年の歴史をへて多くの小樽の子供達を育み、この3月で廃校になった小樽市立入船小学校を見届けることであり、一つの小宇宙として、現実に実在する仮象の港町、近代小樽探索(憧憬、希求)の旅でもあったにちがいない。

 冬の終わりの雪の残る3月の小樽をへて、その終わりの3月31日、東京のラ・ママにて、ドラマ「夢千代日記」の作家で、昨年の12月17日に88歳で亡くなった早坂暁さんを偲ぶ小さなイヴェントに参加した。その場で、久々に再会した桃井かおりさんにちょっと感銘を受けた。

 自分が桃井かおりにであった70年代初頭からほぼ半世紀。
桃井かおりという人の知性、意志、雄気、行動力がそのままそこにしっかり見て取れたから。
桃井かおりこそは、「ブリキの太鼓」のブリキの冠をかむったオスカルだった。
ブリキのオスカルのいとけないまさに「稚性」「無邪気」それえをささえる普遍の若さ、younger than that now がそこにあったからだ。驚きというよりは、やはりそうか。そうやって生きてきたのかという
感銘に近い納得。

 それを、早坂さんの代表作でもある「花へんろ」で主演した桃井かおりさんの、早坂暁さんへの視点として語られた。そこに、ブリキの冠をかむった桃井かおりの「思想」が、愛らしいシュプレヒコールとして谺した。

 つまり、早坂暁さんが、いかに時代に先んじて、権威ぶらない、いかに人間や女性に向けて愛情に溢れていた男性であり、人間であり、作家であり、表現者であるかが、桃井かおりレトリックで、シュプレヒコールで語られた。

 明けて、いよいよ新年度の始まった今日4月1日、自分は、滋賀県東近江市の「西堀榮三郎記念 探検の殿堂」にてライヴを行った。第一期南極越冬隊長でもあったまた一人の先達である西堀榮三郎の「勇気」と「ダンディズム」に心躍りながらも、昨夜の桃井かおりの早坂暁への鋭くて清々しいエールが、胸をさらず、ライヴで歌う合間にその話ばかりが口を突いてでてきてしょうがなかった。
それは、とりもなおさず自分の普遍のミューズ、佐藤敬子の姿にもだぶってならなかったからにちがいない。
(とりあえず、今日はこのへんまで。)

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